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[巻頭メッセージ]アントニオ猪木「闘魂の50年」

2022/07/14
1972年3月6日、大田区体育館で行われた新日本プロレス旗揚げ戦。猪木のヘッドシザーズを倒立でかわそうとするカール・ゴッチ
新日本プロレスの旗揚げから50年。自らが切り拓いた道を振り返り、猪木は語る。魂の重さが違うのだと。連鎖する継承、拡散する遺伝子。猪木は問う。その魂は燃えているかと。

 俺が1972年に旗揚げした新日本プロレスが早いもので創立50周年を迎えた。

「50年前の新日本旗揚げ当時、どんな理想のプロレスを目指していましたか?」なんて聞かれることも多いんだけど、そんなことを考える余裕はなかった。「苦しみの中から立ち上がれ!」という俺の言葉があるけれど、本当に苦しいスタートで、団体を始めたからには立ち上がって走り続けるしかない。そうやって一日一日を必死で生きて、無我夢中で走り続けて、ふと気がついたら50年が経っていたというね。

 そんな中でも常々俺の頭の中にあったのは、「プロレスは格闘技で世界一」という思いと「強さ」を求める心。それは「闘魂」という二文字を受け継がせてもらった師匠・力道山の遺伝子がそうさせたのだと思う。

 力道山が死ぬ半年ぐらい前だったかな、師匠が色紙に「闘魂」という文字を書いていた。それが心に残っていて、力道山が亡くなってしばらくしてから、俺も色紙に「闘魂」という文字を書くようになった。そうすると不思議と力道山が背負っていた使命感のようなものを俺自身も抱くようになっていったんですよ。

 戦後、各界にいろんなヒーローがいたけれど、そんなのは比じゃないくらいに国民に勇気を与えてくれたのが力道山。そんな師匠の姿を付き人として間近で観ていた俺も「終生大衆に尽くす」ことと同時に、世間の常識や偏見と闘っていく使命感を受け継いだ気がする。

 俺が新日本プロレスを立ち上げた頃、プロ野球と大相撲がすごい人気だった。それこそ国民的スポーツだったわけだけれど、俺はプロレスが野球や相撲に負けているとは思っていないし、絶対に負けたくないとも思っていた。だからプロレスの他団体より、他のスポーツに対して勝手に自分でライバル視していた気がする。

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photograph by NIKKAN SPORTS

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