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[指揮官が語る進化論]フィリップ・トルシエ「真のリーダーは私だけだった」

2022/07/01
ブラジル戦の前に、国立競技場で日韓W杯メンバーと再会。右から宮本、森岡、服部、森島、中田浩、トルシエ、西澤、市川、小野、中田英、楢崎
日本を初のW杯16強に導いた指揮官は6月6日、ブラジルと戦う森保ジャパンの姿を目撃した。果たしてこの20年で日本代表は進化したのか、かつて自分が率いたチームとの大きな違いとは。

「この試合は君たちにとって、2006年W杯に向けての最初の試合になる。ドイツ大会への道はここから始まる」

 緊張した表情を浮かべる選手たちを前にトルシエは語り始めた。2002年6月18日、雨の宮城スタジアム。史上初の共同開催となった日韓W杯において、グループリーグを2勝1分の1位で通過した日本代表は、準々決勝進出をかけてトルコと対戦した。試合前のロッカールームで、トルシエはさらに言葉をつづけた。

「グループリーグ突破という目的は達成された。ここから先はボーナスだ。このボーナスは、君たち自身が責任を持って向き合うべきものだ。君たちはすでに世界に認められた。W杯のセカンドラウンドに進める力があることを証明した。今、君たちは、自分たちで責任を背負わねばならない」

 引き分けに終わったベルギーとの初戦は、ラインコントロールの逆を突かれて2失点を喫した。チームの代名詞であったフラット3は、人ではなくボールの動きに対応する守備システムである。格上の相手に対しても、個の力ではなく組織とシステムで守れるのがフラット3の特徴だった。トルシエは言う。

「相手の縦の攻撃を断ち切る刃であり、自動的にラインを上げて相手フォワードを置き去りにし、動きを遅らせることを目的としていた。相手が攻撃を続けるためには、改めてポジションを取らねばならない。コンセプトのベースはボールの位置だった」

 味方がボールをクリアした際も、同様にラインを上げる。だが、ベルギー戦では、押し上げたラインの背後を突かれた。試合後、選手は自分たちで話し合い、マニュアル通りに動くのではなく、相手にクリアボールがカットされる危険があるときは、ラインを下げたままにすることにした。状況に応じた臨機応変な対応が守備を安定させたのは、選手の自主性の芽生えとして評価されている。

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photograph by JFA

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