94年ぶりの五輪3連覇と、そのために「絶対に必要」と語った4回転アクセル。2つの大いなる挑戦の舞台で訪れた予想外の不運。表彰台には届かずとも、故障を抱えながら全てを出し切った演技のさなか、羽生に手を差し伸べたのは――。
外から、歓声が聞こえてくる。何十人、いや、もっとたくさんいるだろう。場内に届くその声は少しずつ近くなり、大きさを増していった。会場へと徐々に向かっている様子がありありと伝わってきた。
2月14日、羽生結弦は試合から4日後に初めてサブリンクで練習したあと、メインプレスセンター内の記者会見場に現れた。
場内には既に100名をゆうに超える取材者がいた。座席がなく立っている人の姿も少なくない。会見場の内外にいまだ渦巻く熱気は、今大会で羽生が置かれていた立ち位置を明確に示しているようだった。
「僕にとって平昌オリンピックまでが完全に夢の舞台でした。ソチオリンピックと平昌オリンピックと両方とも金メダルを取って2連覇して、そこまでが僕が小さい頃から描いていた夢であり、具体的な目標でした。正直言って、3連覇というものをあんまり考えずに過ごしてきました。ただ僕が今置かれている状況だったり、僕が今挑んでいる技だったり、また、いろんな年齢でオリンピックに向けて全力で頑張っている、いろんな選手たちの姿を見て、フィギュアスケート男子シングルで3連覇の権利を有しているのは僕しかいないので、もちろん夢に描いていたものではなかったかもしれないですけど、その夢の続きへしっかりとまた描いて、あの頃とはまた違った、前回と前々回とはまた違った強さで、オリンピックに臨みたいと思っています」
3度目の大舞台への新たな意欲とともに、羽生は開幕後の2月6日に北京入りし、翌日、最初の練習に臨んだ。
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photograph by Sunao Noto/JMPA