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日本ラグビーの顔であり人格者、日比野弘さんを悼む。

2021/12/11
記録整理の集大成として、制作に20年を費やし、'11年に『日比野弘の日本ラグビー全史』を上梓。'91年12月撮影

 穏やかな声はいつもと変わらなかった。

「1人で来ましたよ」

 2005年4月、日本代表の南米遠征。日本から現地取材に訪れたのは僕だけだった。ウルグアイで村田亙37歳の代表復帰と五郎丸歩19歳の代表デビューを見届け、続くアルゼンチン戦に向け移動したブエノスアイレスでの試合前日練習会場に、日比野弘さんは、ふらりと現れたのだ。

「W杯のロビー活動でね」

 当時、日本は'11年W杯招致を目指していた。日比野さんは日本ラグビー協会会長代行兼W杯招致委員長。当時70歳のVIPが単身、地球の裏側まで30数時間の長旅をしてきながらケロリとしていて、東伏見や秩父宮でお会いしたときと同じようなたたずまいだったことにも驚いた。

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photograph by Hirokazu Takayama

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