一度その番号をつけてから、手放すことはなかった――。
誰よりも10番を愛する男から溢れ出るのは
“ファンタジスタ”への郷愁と復活に向けた希望だった。
誰よりも10番を愛する男から溢れ出るのは
“ファンタジスタ”への郷愁と復活に向けた希望だった。
1月最後の月曜日、ベンフィカのオフィスにある応接室でマヌエル・ルイ・コスタを待っていた。
壁にはベンフィカの巨大なユニフォームが掲げられている。毎日磨かれているのだろう、'61年と'62年のチャンピオンズカップがふたつ、その脇で誇らしげに輝いていた。
約束の時間は過ぎていたけれど、なかなか彼は現れない。クラブ広報のリカルドが申し訳なさそうに言う。
「ルイはいま本当に忙しくてね。移籍市場の閉鎖直前で何かと。ただ、10番について語る、というのがルイの興味を引いたんだろう」
ルイ・コスタはベンフィカの移籍を取り仕切っていた。
応接室の横を、若手の新加入選手が歩いていった。ルイ・コスタはこの時期は取材を受けないのだという。8月と1月は、スポーツディレクターにとって1年で最も多忙な時期だ。今冬も、ベンフィカはMFネマニャ・マティッチを2500万ユーロ(約35億円)でチェルシーへ売却するなど、移籍市場での動きは活発だった。
遠くから革靴が床を叩く音が聞こえ、ルイ・コスタが早足で部屋に入ってきた。ぱりっとしたスーツ姿はドイツのビジネスマンみたいだ。引退してからの6年の歳月が、彼に自然な風格をもたらしている。
「悪かった、いくつか移籍の件を詰めていて」と、ルイ・コスタは申し訳なさそうに言った。人当たりの良さはまったく変わることがない。
「10番についてだったね。この番号は私にとってなによりも大事なものなんだ。さて、どこから始めようか」
革のソファに座り手を組んだ彼は、大事な思い出を少しずつ紐解くかのように、ゆっくりと語り出した。
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photograph by Daisuke Nakashima