92、93年とセーブ王を獲得していたクローザー・赤堀元之。だがまさかの野茂英雄交代から近鉄の歯車は狂っていった / photograph by Kazuaki Nishiyama 石井浩郎 ©Yuki Suenaga 92、93年とセーブ王を獲得していた赤堀元之。94年も最終的に24セーブでセーブ王となるが ©Koji Asakura くふうハヤテの監督を務める赤堀元之 ©Masanori Kise 伊東勤。西武一筋で2379試合に出場、引退後即西武の監督に就任して日本一にもなっている ©Takao Yamada 西武・鈴木健。94年には規定打席不足ながら.350、12本塁打を記録した ©Takao Yamada 西武球場での開幕連敗から近鉄の歯車は狂っていった ©BUNGEISHUNJU 結果的に野茂英雄のラストイヤーとなった「1994年の近鉄バファローズ」に何が起きていたのか…メジャー挑戦30周年に番記者が改めて迫る ©Koji Asakura 1995年、アメリカにセンセーションを巻き起こした野茂 ©Naoya Sanuki ©Naoya Sanuki 近鉄の大エースだった阿波野秀幸 ©Takahiro Kohara 現在の阿波野氏 ©Hirofumi Kamaya 自身300勝の大投手だった鈴木啓示監督は野茂への信頼を口にしていた。開幕戦で史上初の大記録が近づく中、鈴木監督の采配は… ©KYODO 1994年開幕戦の野茂 ©Koji Asakura 野茂とは真逆の哲学を持っていたかつての大投手、鈴木啓示監督 ©KYODO 快投を繰り広げた開幕戦の野茂 ©Koji Asakura 西武・郭泰源も負けじとスコアボードに0を並べていた ©Koji Asakura 石井浩郎。最終的にこの94年に.316、33本塁打というキャリアハイの成績を残した ©BUNGEISHUNJU 1994年開幕戦、ノーヒットノーランまであと3人の快投を続ける野茂英雄。しかし先制弾の4番・石井浩郎に交代が告げられて… ©Koji Asakura 1994年の中村紀洋。ベテラン・金村義明に代わって頭角を現し、この年101試合に出場してレギュラーへの足がかりをつかんだ ©BUNGEISHUNJU 参議院会館で当時を振り返る、現在の石井浩郎 ©Yuki Suenaga ダイエー時代の佐々木誠 ©Koji Asakura 球史に残る大型トレードで西武に移籍した1994年の佐々木誠。37盗塁で盗塁王を獲得し、20本塁打も記録した ©Kazuaki Nishiyama ノーヒットノーラン目前で清原和博の「捕れた当たり」がヒットになり、一転ピンチに。それでも野茂英雄への信頼は揺るがないはずだったが… ©Koji Asakura 清原和博。1994年も26発を放ち、黄金時代の西武の4番として君臨していた ©Naoya Sanuki 現在はロッテのコーチを務める光山英和 ©Masanori Kise 清原は二塁に ©Koji Asakura 内野陣がマウンドに集まった。左からショート吉田剛、野茂、セカンド大石大二郎、キャッチャー光山 ©Koji Asakura 闘病を続けている現在の佐野慈紀 ©Masanori Kise 長打力が売りの鈴木貴久(背番号2)だったが実は守備を含めた運動能力で一目置かれていた ©Kazuaki Nishiyama 当時を振り返る石井浩郎。現在は参議院議員を務める ©Yuki Suenaga 守備の名手だったセカンド・大石大二郎 ©Koji Asakura 日本でのラストシーズンとなった1994年、西武との開幕戦に登板した近鉄・野茂英雄。この日、8回までノーヒットの投球を見せていたが… ©Koji Asakura ピンチとなりマウンドに集まる近鉄の選手たち。野茂が投げ続けると見られていたが… ©Koji Asakura

石井浩郎 ©Yuki Suenaga

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