本日6月28日に38歳になった土佐誠。波乱万丈のキャリアを歩んだ男はいま、イギリスにいる(写真=2019年撮影) / photograph by Kiichi Matsumoto 6月28日で38歳になった土佐誠 ©︎Kenta Nakaya 関東学院大学時代の土佐誠。日本を背負うNo.8として将来を期待された(2007年)©︎Tamon Matsuzono 大学選手権1回戦で突破を試みる関東学院大・土佐誠。試合後は悔しさに加えて、「ようやく終わった」という安堵が入り混じる複雑な心境だった(2008年12月20日) ©︎JIJI PRESS 2010年9月4日、ヤマハ発動機戦でトップリーグデビューを飾った土佐誠 ©︎ Jun Tsukida/AFLO SPORT 充実のシーズンを過ごしていた2011年。土佐の異変に気づいたのは、当時チームメイトだった田村優だったという ©︎Jun Tsukida/AFLO SPORT オーストラリアでのプレーを経て、2017年に三菱重工相模原ダイナボアーズに移籍。翌シーズンから主将としてチームを1部昇格に導いた(写真=2020年1月掲載)©︎Hideki Sugiyama ©︎Kenta Nakaya ケンブリッジ大学の経営大学院に通う土佐誠。今日で38歳、今年3月には自身2回目となる伝統のラグビー定期戦「バーシティマッチ」にも出場した ©Kenta Nakaya キャンパスを自転車で移動する土佐(筆者撮影) ケンブリッジ大の一員として「バーシティマッチ」に出場した土佐誠(本人提供) バーシティマッチ後、健闘を称え合う選手たち(本人提供) 一軍の選手として「バーシティマッチ」に出場すると「ブルー」という称号が与えられる(本人提供) 関東学院大時代の土佐誠(2007年)©︎Tamon Matsuzono ©︎Kenta Nakaya

関東学院大時代の土佐誠(2007年)©︎Tamon Matsuzono

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本日6月28日に38歳になった土佐誠。波乱万丈のキャリアを歩んだ男はいま、イギリスにいる(写真=2019年撮影) / photograph by Kiichi Matsumoto 6月28日で38歳になった土佐誠 ©︎Kenta Nakaya 関東学院大学時代の土佐誠。日本を背負うNo.8として将来を期待された(2007年)©︎Tamon Matsuzono 大学選手権1回戦で突破を試みる関東学院大・土佐誠。試合後は悔しさに加えて、「ようやく終わった」という安堵が入り混じる複雑な心境だった(2008年12月20日) ©︎JIJI PRESS 2010年9月4日、ヤマハ発動機戦でトップリーグデビューを飾った土佐誠 ©︎ Jun Tsukida/AFLO SPORT 充実のシーズンを過ごしていた2011年。土佐の異変に気づいたのは、当時チームメイトだった田村優だったという ©︎Jun Tsukida/AFLO SPORT オーストラリアでのプレーを経て、2017年に三菱重工相模原ダイナボアーズに移籍。翌シーズンから主将としてチームを1部昇格に導いた(写真=2020年1月掲載)©︎Hideki Sugiyama ©︎Kenta Nakaya ケンブリッジ大学の経営大学院に通う土佐誠。今日で38歳、今年3月には自身2回目となる伝統のラグビー定期戦「バーシティマッチ」にも出場した ©Kenta Nakaya キャンパスを自転車で移動する土佐(筆者撮影) ケンブリッジ大の一員として「バーシティマッチ」に出場した土佐誠(本人提供) バーシティマッチ後、健闘を称え合う選手たち(本人提供) 一軍の選手として「バーシティマッチ」に出場すると「ブルー」という称号が与えられる(本人提供) 関東学院大時代の土佐誠(2007年)©︎Tamon Matsuzono ©︎Kenta Nakaya

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