04年から11年まで中日の監督を務めた落合博満。すべての年でAクラス入り、セ・リーグ優勝4回、日本シリーズ優勝1回を果たした / photograph by KYODO 1997年から2007年まで西武で活躍。08年から15年まで中日でプレーした和田一浩 ©BUNGEISHUNJU 西武時代の和田。96年、神戸製鋼からドラフト4位指名で西武へ。05年には首位打者、最多安打を獲得 ©BUNGEISHUNJU 04年から11年まで中日の監督を務めた落合博満。すべての年でAクラス入り、セ・リーグ優勝4回、日本シリーズ優勝1回を果たした ©BUNGEISHUNJU ©BUNGEISHUNJU 和田一浩17歳の記憶……1989年8月12日、中日対巨人(ナゴヤ球場)。9回ワンアウトまでノーヒットに封じられていた斎藤雅樹から落合(手前から2人目)が逆転サヨナラ3ラン ©Sankei Shimbun 『嫌われた監督 落合博満は中日をどう変えたのか』(文藝春秋) (書影をクリックするとAmazonのサイトにジャンプします) 落合博満監督(当時)の夫人・信子さん(右)と息子の福嗣さん(写真は2006年、神宮球場で) ©Sankei Shimbun 写真は1985年、落合がロッテの選手だったとき。落合の自宅前で、信子夫人と ©BUNGEISHUNJU 04年から11年まで中日の監督を務めた落合博満。すべての年でAクラス入り、セ・リーグ優勝4回、日本シリーズ優勝1回を果たした ©BUNGEISHUNJU 写真は04年のナゴヤドームで。中日の勝利を息子の福嗣さん(左)と喜ぶ信子さん ©KYODO 『嫌われた監督 落合博満は中日をどう変えたのか』(文藝春秋) (書影をクリックするとAmazonのサイトにジャンプします) ©BUNGEISHUNJU 2007年の日本シリーズ第5戦。運命の9回、投球練習に入る岩瀬 ©BUNGEISHUNJU 自宅でヨコになって寛ぐ(1987年撮影) ©BUNGEISHUNJU 1987年のシーズン、ロッテから中日へ移籍した落合博満 ©BUNGEISHUNJU “消えた完全試合”の後、捕手・谷繫と喜びを分かち合う山井 ©BUNGEISHUNJU 中日時代(1987~93年まで在籍) ©BUNGEISHUNJU 中日時代(1987~93年まで在籍) ©BUNGEISHUNJU 1990年のオールスターで西武時代の清原和博とのツーショット ©BUNGEISHUNJU 53年ぶりの日本シリーズ制覇。ビールかけにゴーグルをつけて参加した落合博満 ©BUNGEISHUNJU 2007年日本シリーズに敗れ、呆然とするダルビッシュ有 ©BUNGEISHUNJU 53年ぶりの日本シリーズ制覇、宙を舞う落合博満 ©BUNGEISHUNJU 継投に成功した岩瀬仁紀に駆け寄るナイン ©BUNGEISHUNJU ©BUNGEISHUNJU 継投に成功し飛び上がって喜ぶ岩瀬 ©BUNGEISHUNJU 1998年のドラフト、NTT東海から逆指名し2位で中日入りした岩瀬仁紀 ©BUNGEISHUNJU 1985年、86年と2年連続で三冠王に輝いたバースと落合(写真は85年撮影) ©BUNGEISHUNJU 今中は5年目(1993年)に最多勝(17勝)、沢村賞投手になった ©BUNGEISHUNJU ロッテ時代の落合。1978年のドラフト3位で入団し、86年まで在籍した ©BUNGEISHUNJU 87年のシーズンから中日へ。年俸は9700万円から1億3000万円にアップして日本人初の年俸1億円プレーヤーに ©BUNGEISHUNJU 96年オリックスとの日本シリーズで。松井秀喜とのツーショット。同シリーズは4勝1敗でオリックスが制した ©BUNGEISHUNJU 1985年、当時1億5000万円と報じられた豪邸前で信子夫人と ©BUNGEISHUNJU 1985年、江夏豊の引退式で ©BUNGEISHUNJU 1985年、ランディ・バースとのツーショット ©BUNGEISHUNJU 星野仙一さんとの対談で(1985年撮影)

04年から11年まで中日の監督を務めた落合博満。すべての年でAクラス入り、セ・リーグ優勝4回、日本シリーズ優勝1回を果たした(photograph by KYODO)

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