甲子園の風BACK NUMBER
「甲子園の光は眩しすぎた」池田高校優勝メンバーの告白「蔦さんも燃え尽きだったのか…」高校野球の神様・蔦文也監督に起きた“一つの悲劇”とは?
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谷川良介Ryosuke Tanikawa
photograph bySankei Shimbun
posted2026/09/11 17:50
ノックを行う池田高校・蔦文也監督
中村 ユーススポーツの中でも、高校野球、甲子園は日本における注目度が段違いです。歴史的には新聞やラジオの時代からそうでしたが、1970年代からテレビが全試合を放送するようになって、普通の高校生が2週間ほどで日本中に知られる存在になる、という強烈な力が生まれました。先日亡くなった板東英二さんもそうですし、最近では斎藤佑樹、吉田輝星もそうです。
それだけの規模で、突然、日本中の誰もが知る人になる。これはメディアの力抜きには考えられませんし、そこで作られたイメージを本人がなかなか脱ぎ捨てられない。斎藤佑樹さんにしても、「ハンカチ王子」として爽やかな好青年というイメージがついて回り、その後、大学、プロと進んでも、そのイメージからはなかなか抜け出せなかったはずです。そういう意味で、苦しんだ選手は少なくなかったと想像できます。
最近はメディアの仕事をされている方も多いので、逆にそれを自分の仕事にできている面もあるとは思いますが、多くの人はそうではなく、そのとき作られたメディアのイメージがそのまま自分になってしまう。しかもそれを日本中の人が知っていて求めてくる、というのは、なかなか普通の人は経験しないことだと思います。それは蔦さんにも言えますね。
「蔦さんにとっての悲劇だったのではないか」
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田中 晩年、蔦さんが練習に顔を出さずに講演会が激増したという状態は、バーンアウトもあったのかもしれません。
今お話をうかがっていて思ったのは、高校野球監督にも任期を設けていいのではないかと。蔦さんの場合は定時制と全日制間の異動という形で池田高校にとどまりましたが、たとえば5年で確実に代わる、というような仕組みです。指導者が固定化されて、さらにそのチームが強ければ強いほど、監督は「絶対的な存在」になる。それは組織である以上、どんな分野でも起こり得ることだと思います。意識していなくても、周囲はその人を「神」にしてしまうこともある。
当時の池田には白川進さんという部長がいて、蔦さんに意見を言える立場の方でした。その存在がなくなったことが、蔦さんにとっての一つの悲劇だったと思う。「周りに厳しく言える人を置く」というのはルール化しにくいことを考えると、任期制や異動の義務化のようなものにも一考の余地があるのではないか。昨年の広陵高校を見ていてもそう感じました。

