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“奇跡の回復”で余命3カ月宣告から2軍戦登板も…ホークス炎の中継ぎ・藤井将雄の死去の速報に「何が何だか…。何が起きたのか、と…」
posted2026/09/04 11:06
1999年の日本シリーズ後に病が発覚した藤井。信じられないような回復を見せた時期もあったが、2000年のリーグ優勝を見届けて世を去った
text by

NumberWeb編集部Sports Graphic Number Web
photograph by
Koji Asakura
「あの速報は……たまらんかったな、ホントに」
斉藤和巳(現・ソフトバンク2軍監督)が、静かにそう漏らした。
2000年10月13日深夜、自宅のテレビに流れたニュース速報。最初に、「速報の音」が聞こえた。事件か、災害か——そう思いながら画面を見ると、「福岡ダイエーホークス」の文字が飛び込んできた。
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「何が何だか……。何が起きたのか、正直……」
藤井将雄投手、死去。
斉藤はそこから、何をどうすればいいのか分からなくなった。
「知らなかったからこそ」という後悔と感謝
1999年の日本シリーズ後、医師から余命3カ月、長くて半年と家族に宣告されていた藤井将雄は、2000年シーズン中に2軍戦へ登板し、計6試合でマウンドに立った。その登板数を、斉藤はこの取材で初めて知ったという。
「えっ? そんな投げてたんだ?」
声が裏返った斉藤は、こう続けた。
「振り返ってみたら、この人、やっぱりどういう精神力をしていたんやろと。亡くなってから、さらに尊敬が強くなった」
斉藤は藤井の"本当の病状"を、最後まで知らなかった。9歳上の兄貴分と食事に出かけ、普段通りに笑い、語り合い続けた。優勝マジック「1」のロッテ戦に先発する前日、斉藤は病院へ見舞いに向かった。しかしそれが、藤井との最後の対面になった。
「知っている人の方が、多分辛いと思いますよ」
斉藤はそう言いながらも「知らないからこそ、いつもと変わらない感じで、藤井さんに甘えていた」と振り返る。後輩に気を遣わせなかった藤井の強さが、そのまま斉藤への最後の優しさになっていた。
藤井がみずほPayPayドーム福岡の「15番ゲート」に遺したメッセージ、そして背番号「15」のこれからを巡る議論——これらが本編では深く描かれている。
〈つづく〉
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この文章の本編は、以下のリンクからお読みいただけます。
