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「町から人が消えた」池田高校が“甲子園のアイドル”を破った日「阿波の人たちは認められたような気持ちに…」池田OBが証言、蔦文也が愛された“意外な理由”
posted2026/08/02 11:01
1982年夏の甲子園で初優勝を果たし喜ぶ池田高校の選手たち
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NumberWeb編集部Sports Graphic Number Web
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AFLO
続々と話題を集める本書から、「池田高校が荒木大輔擁する早稲田実業に勝った日」を描いた部分の短縮版を特別にお届けします。※本記事の本文:編集部作成
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早稲田実業の荒木大輔を池田が打ち破った日、町から人が消えた。町民のほとんどが自宅でテレビにかじりついていたからだ。
池田高校の校長・原史麿は、蔦文也が甲子園優勝に導いた黄金期をその目で見てきたOBだ。江上光治、水野雄仁と同学年であり、校長室には2つの優勝旗が並んでいる。修学旅行で東京を訪れた際、徳島から来たと言っても反応は鈍かったが、「池田から来た」と告げた途端に100%通じたという。「あの野球の?」と。
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田舎の公立校が都会の私立校を破り、そのまま甲子園で初優勝した。奇跡的な事件が町民を興奮させた理由を、原はこう語った。
「やっぱり田舎だから。卑屈なところがあるんですよ。東京や大阪に出ていきたいけど気後れしてしまう。自分たちは田舎もんだからって。そんな時代に蔦監督が現れた」
蔦監督は堂々と“阿波弁”で語った
原が特に強調したのは、試合後のインタビューでの場面だった。
「蔦監督は堂々と阿波弁で喋ったでしょう。あれで阿波の人たちは認められたような気持ちになったというかね」
全国放送のテレビで、方言をそのままに語る監督の姿。それは単なる野球の勝利以上の意味を、徳島の人々に与えた。都会へのコンプレックスを抱えていた時代に、蔦はただ存在するだけで人々の誇りになっていた。「蔦先生は本当にすごいと思う」と原は繰り返した。
しかし蔦の退任後、池田は甲子園から長く遠ざかることになる。原の話を聞き終えた記者は、現在の池田野球部監督、井上力に取材するため、グラウンドへ向かった。〈つづく〉
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