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「戦争ですべてを失ったんです」甲子園“No.1名将”の息子がポツリ…学徒出陣→特攻隊員に、名家に生まれた池田高校・蔦文也の“知られざる激動人生”

posted2026/07/28 11:00

 
「戦争ですべてを失ったんです」甲子園“No.1名将”の息子がポツリ…学徒出陣→特攻隊員に、名家に生まれた池田高校・蔦文也の“知られざる激動人生”<Number Web> photograph by AFLO

池田高校を率いて甲子園3度優勝。高校野球界屈指の名将として知られる蔦文也

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田中仰

田中仰Aogu Tanaka

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名門・池田高校はなぜ甲子園から“消えた”のか? 蔦文也は本当に名監督だったのか、それとも――? “高校野球界最大の謎”を追ったミステリーノンフィクション『監督、神になる 池田高校 記憶の衝突』(著:田中仰)が7月29日についに発売!

今回はその中から、「名家の一人息子」「戦争ですべてを失った」など、蔦監督の知られざる秘話を、次男が明かした場面を紹介する。【全2回の初回/後編につづく】※肩書などはすべて取材時のもの

◆◆◆

 6枚の集合写真がある。

 朝日新聞フォトアーカイブに残されている白黒写真の撮影日は1940年で、タイトルに「第26回大会徳島商の選手集合写真」と記されている。そのうち4枚で、当人と思しき人物は列の端にいる。中央に並ぶ屈強な選手たちに比して線が細く、背丈も低く見える。

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 それらとは別に、主将と2人で並んだ写真もあった。その人物はいかにも実直そうな、静かな面持ちでレンズをまっすぐに見つめている。のちに高校野球の枠を超えて社会現象を巻き起こすことになる、蔦文也の高校時代を収めたものである。16歳の蔦と、60歳の蔦。徳島商業の野球部員であった蔦と、甲子園連覇で徳島の英雄になった蔦。その44年間をつなぐために、まず実子に話を聞けないかと考えた。

「戦争ですべてを失ったんです」

 蔦の長男、つまり哲一朗の父は2024年春に他界している。しかし、次男・隆司は存命で、徳島に住んでいることと電話番号を哲一朗が教えてくれた。

 早速、隆司に取材の打診をした。趣旨を伝えたが「野球部のことも父のこともあまり知らないよ」と返された。口調は柔らかいが、取材に対して乗り気でないことがうかがえた。

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