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夏春連覇、甲子園名将の孫が貴重証言「人によってじいちゃんの捉え方は違う」池田高校・蔦文也が“国民的監督”になったウラ話「記者と一緒にお酒を飲んで…」
posted2026/08/01 11:06
徳島県立池田高校を率い、甲子園で3度の優勝を果たした蔦文也監督
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NumberWeb編集部Sports Graphic Number Web
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JIJI PRESS
続々と話題を集める本書から、蔦監督の孫が「じいちゃんの話」を明かした部分の短縮版を特別にお届けします。※本記事の本文:編集部作成
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「なぜ今、じいちゃんなんですか?」――蔦哲一朗は開口一番、そう尋ねた。
池田高校野球部を率い、1980年代の高校野球界に旋風を巻き起こした蔦文也監督。その孫である哲一朗が、祖父の表と裏を、静かに、しかし惜しみなく語った。
孫が語る蔦文也の「A面」と「B面」
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蔦文也がいかにしてメディアに愛され、国民的な監督へと上り詰めたのか。哲一朗はその背景をこう明かす。
「メディア対応がうまかったんですよね。表に出ることを嫌がらない人だった。記者の方と一緒にお酒を飲んだりして」
ウエイトトレーニングやポカリスエットをいち早く導入し、打ち勝つ野球で高校野球の常識を変えた。それが哲一朗の言う「A面」だ。しかし一方で、「B面」も存在する。
「池田町の神様みたいな存在になったじいちゃんに、誰も意見できなくなっていったというB面もある。もともと頑固で自分の信念を貫く人。そこに甲子園優勝という実績がついたから……。当時近かった人の中には、じいちゃんを嫌いな人もいたみたいです。じいちゃんに裏切られたと感じている人も」
哲一朗自身、1984年生まれで、物心がつく前に池田の黄金期は去っている。祖父の全盛期をリアルタイムでは知らない孫だからこそ、その言葉には妙な客観性があった。
取材を終えた筆者は1週間後、池田高校へと向かう。徳島県西端に位置する阿波池田駅前はがらんとしており、丘の上に建つ池田高校の校舎は、薄墨色の霧にむせぶ山を背に、まるで町を見下ろす城のようにそびえていた。〈つづく〉
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