甲子園の風BACK NUMBER
「あまりに問題が多すぎる」名将・蔦文也のブレーンが訴えていた“甲子園とカネ”の悩み「池田野球部はなぜ自転車操業に陥った?」蔦を熟知する池田OBの証言
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近藤雅人Masahito Kondo
photograph by日刊スポーツ/アフロ
posted2026/07/29 11:01
池田高校の蔦文也監督と白川進部長
この話を思い出すにつけ、私は、蔦氏が選手選考でエコ・ヒイキをしたという非難には首をかしげる。が、蔦氏が晩年、ともすれば現場から離れがちだったことは事実だ。そのような非難があがること自体、晩年の彼にはつらいことであったろうと推察する。
「称賛する人も、批判する人も…」
私が知る限りでは、彼は基本的には知的な人物で、アフォリズムの名手だった。一言で物事の真実をつくのが実にうまかった。それがゆえに数々の名言を残したわけだが、他人への批判の時にまで、照れ隠しで、箴言的な物言いをするというところがあった。よく言えば「寸鉄、人を刺す」だが、耳にした側は傷つくこともあったろう。
『監督、神になる』で、田中仰氏は、蔦氏を称賛する人たち、批判する人たちの、両者に耳を傾け、池田高校野球部の瓦解の物語を丹念に紡いでいる。本書を読んで痛感したのだが、記憶と記憶は衝突するが、両者ともに蔦氏を深く愛しているという印象を免れない。絶賛するにせよ、非難するにせよ、本書の登場人物のいずれもが、蔦文也という存在を深く自らに内面化し、含蓄あるコメントを発している。田中氏がすくいあげる愛憎なかばする物語は、私には悲劇性は感じられない。まるで人間臭い人生劇場の回り舞台を見るかのようである。
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「特攻隊くずれで、プロ野球くずれ。蔦氏には、やさぐれた一面があって、心の内にどこか大きな空白を抱えているかのような哀愁感が漂っていた」。親交の深かった近藤氏が見た、蔦監督の“本当の素顔”とは?〈最終回につづく〉
近藤雅人(こんどうまさひと)
1953年、徳島県生まれ。徳島県立池田高校、早稲田大学第一文学部卒業。元ごま書房副編集長。フリーライターを3年ほど経験した後、朝日新聞社に入社。週刊朝日百科・世界の文学編集長、メディカル朝日編集長などを歴任。
記事公開から1年に及ぶ継続取材を経て完全書き下ろしで書籍化。“高校野球界最大の謎”を追ったミステリーノンフィクション『監督、神になる 池田高校 記憶の衝突』(著:田中仰)が7月29日についに発売。
