甲子園の風BACK NUMBER
夏春連覇、日本中が熱狂した池田高校野球部に起きた“異変”…なぜ甲子園から“消えた”のか?「美談は言わないよ」あの名物監督に次々と新証言
posted2026/07/25 11:02
池田高校を率い、3度の甲子園優勝を果たした蔦文也監督
text by

田中仰Aogu Tanaka
photograph by
AFLO
今回はその中から、池田高校の栄光時代、そして蔦監督への“ある疑惑”が発覚する場面を紹介する。【全3回の3回目/第1回、第2回も公開中】※肩書などはすべて取材時のもの
◆◆◆
翌日の午前中、池田高校の校長・原史麿の取材に訪れた。原は蔦の孫、哲一朗の高校時代の担任教諭である。「遠くまでわざわざ」と柔らかな物腰で校長室にわたしを迎えてくれた。
原は池田の卒業生で、甲子園で夏春連覇を果たした江上光治、水野雄仁と同学年であった。校長室に並べられた二つの優勝旗や、校舎内を歩き回るテレビクルー、全国から町に殺到した観光客といった、黄金期の風景をその目で見ている。原が懐かしむように目を細める。
ADVERTISEMENT
「修学旅行で東京に行くんですよ。そこで徳島から来ました、と言っても東京の人の反応が鈍いわけです。でも池田から来た、と言えば一〇〇%通じました。あの野球の? と。私らの世代、五〇代から上で池田を知らない人はいないというくらい有名でした」
池田が“甲子園のアイドル”を打ち破った日
甲子園のアイドルとして女性人気を集めた早稲田実業の荒木大輔を池田が打ち破った日には、町から人が消えた。町民のほとんどが自宅でテレビにかじりついていたからだ。田舎の公立校が都会の私立校に勝った。そのまま甲子園で初めて優勝した。奇跡的な事件が町民を興奮させた。
首都圏のベッドタウン出身のわたしは、都会へのコンプレックスもなければ、郷土愛もない。それゆえ、野球部の快進撃が町を勇気づけたのですね、と当たり障りのない相槌しか打てなかった。
「やっぱり田舎だから。卑屈なところがあるんですよ。当時はインターネットもなかったし、自分の地元以外、特に都会ともなれば未知の場所。東京や大阪に出ていきたいけど気後れしてしまう。自分たちは田舎もんだからって。そんな時代に蔦監督が現れた。試合後のインタビューで蔦監督は堂々と阿波弁で喋ったでしょう。あれで阿波の人たちは認められたような気持ちになったというかね」
町の偉人を語る原は誇らしげであった。「蔦先生は本当にすごいと思う」と繰り返した。
