甲子園の風BACK NUMBER
高校野球“あの名門公立校”が甲子園から消えた「大の酒好き」「攻めダルマと呼ばれ…」池田高校の名物監督・蔦文也はなぜ“日本中で愛された”のか?
posted2026/07/25 11:00
1982年、夏の甲子園で初優勝を果たし喜ぶ蔦文也監督と池田高校の選手たち
text by

田中仰Aogu Tanaka
photograph by
AFLO
名門・池田高校はなぜ甲子園から“消えた”のか? 蔦文也は本当に名監督だったのか、それとも――? “高校野球界最大の謎”を追ったミステリーノンフィクション『監督、神になる 池田高校 記憶の衝突』(著:田中仰)が7月29日についに発売!
今回はその中から、池田高校の栄光時代、そして蔦監督への“ある疑惑”が発覚する場面を紹介する。【全3回の初回/第2回、第3回も公開中】※肩書などはすべて取材時のもの
今回はその中から、池田高校の栄光時代、そして蔦監督への“ある疑惑”が発覚する場面を紹介する。【全3回の初回/第2回、第3回も公開中】※肩書などはすべて取材時のもの
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最初の腹積もりを正直に白状するならば、ライターとしての打算にほかならない。あの「池田高校」を取材して記事にすれば読者は食いつくだろう。そんな打算が八割、純粋な興味は二割ほどであった。
一九九二年生まれのわたしは「池田の時代」を知らない。わたしにとっての高校野球といえば智弁和歌山であり、横浜であり、大阪桐蔭である。高校野球中継の合間の『白球の記憶』に時折登場する高校、昔は甲子園で勝っていた高校。それが取材をはじめるまえの池田の印象だった。
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しかし、五〇代以上の人々に聞いてみると、そのほとんどが池田を知っていた。
四〇年前に世間を熱狂させた野球部の様相、九〇年代以降に突如として勝てなくなったチームの今などを取り上げれば記事になりそうだ。そう考えていた。
「こんな田舎の公立校が、甲子園で3度も…」
そもそも、池田の企画を編集部に提案しようと思ったきっかけは、二〇二三年冬の私的な旅行にあった。
高知駅から金刀比羅宮に向けて特急「南風」に乗っていた。徳島の西部、吉野川の激流によって刻まれた急峻な渓谷・大歩危小歩危を過ぎて間もなく、特急列車は四方を山に囲まれた小さな駅に停車した。
阿波池田という駅名を見た。その瞬間に、金属バットの甲高い打球音と、「やまびこ打線」という言葉が頭に浮かんだ。スマートフォンで地図アプリを開き、そこに池田高校がたしかに存在することを知った。

