甲子園の風BACK NUMBER
高校野球“あの名門公立校”が甲子園から消えた「大の酒好き」「攻めダルマと呼ばれ…」池田高校の名物監督・蔦文也はなぜ“日本中で愛された”のか?
text by

田中仰Aogu Tanaka
photograph byAFLO
posted2026/07/25 11:00
1982年、夏の甲子園で初優勝を果たし喜ぶ蔦文也監督と池田高校の選手たち
下調べの過程で、蔦の孫が東京に住んでいることがわかった。まずは彼に蔦の人物像や、蔦と池田野球部に関する全体像のようなものを聞きたいと考えた。
部内に蔦への“反発”もあった?
孫は映画監督で、祖父のドキュメンタリー映画も制作していた。ホームページに記された携帯の番号に電話をかけて取材の趣旨を伝えると、すぐに快諾してくれた。
映画『蔦監督 高校野球を変えた男の真実』には二〇人近くの池田野球部OBや蔦の妻・キミ子、長男らが出演していた。彼らへのインタビュー、当時の町の興奮を伝えるニュース、蔦が指導する様子などが見られた。説明的なテロップ、ナレーションは最小限に抑えられ、蔦の人物像については視聴者に解釈を委ねるような作りだと感じた。
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映画の終盤の内容からは、監督晩年に蔦が講演会でグラウンドから離れていたこと、それに対して部内で反発があったであろうことが、うっすらとうかがえた。しかし、強豪野球部では珍しくないことだと思ったわたしは、その時点で深く考えることはしなかった。
「なぜ今、じいちゃんなんですか?」
都内のファミリーレストランに現れた蔦哲一朗は、いかにも豪傑といった祖父とは正反対の風貌であった。前髪は目に掛かるくらいの長さで、細い黒縁のメガネの奥の目は優しげだ。映画監督という職業に似つかわしく、文化的な雰囲気を漂わせていた。
「なぜ今、じいちゃんなんですか?」開口一番、哲一朗はわたしにそう尋ねた。〈つづく〉
記事公開から1年に及ぶ継続取材を経て完全書き下ろしで書籍化。“高校野球界最大の謎”を追ったミステリーノンフィクション『監督、神になる 池田高校 記憶の衝突』(著:田中仰)が7月29日についに発売
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