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「俺、白血病だってさ」22歳のサッカー選手に悲痛な宣告「当時の私はまだ家族ではなかった」妻が今明かす...病に倒れた“最愛の人”と結婚したいと思った日 

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早川史哉・真優

早川史哉・真優Fumiya&Mayu Hayakawa

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photograph byJ.LEAGUE

posted2026/07/13 11:01

「俺、白血病だってさ」22歳のサッカー選手に悲痛な宣告「当時の私はまだ家族ではなかった」妻が今明かす...病に倒れた“最愛の人”と結婚したいと思った日<Number Web> photograph by J.LEAGUE

プロデビュー間もない2016年春、22歳の早川史哉に「急性白血病」の診断が下った

 電話を切った後は、泣くことしかできなかった。

 病気になったのは私じゃない。でも、最愛の人がなってしまった──。

 いちばん苦しくて、つらいのは当事者の史哉。その次はきっと彼を育てた両親。次がお姉ちゃんや弟で……私は何番目くらいだろう。

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 無意味な問答を繰り返すうちに、最下位でもいいから彼の病気を治してほしいと願うようになった。そして、私が苦しむのは違うと思った。

 そうするうちに、家族でもない私だけど、何ができるかを考えられるようになった。

 すると立ち尽くしていた身体も動くようになって、「歩き出さなきゃ」と駅へ向かった。

 帰りの電車のなかでは、どう支えていけばいいのか、どう寄り添おうかなど、いろいろと考えた。

 そのときに私のなかで別れるとか、離れるということは一切浮かんでこなかった。それは病気のことを知ってから何日経っても同じだった。

「ともに歩いていく」

 振り返ると、そんな覚悟をこのときに決めていたんだと思う。

家族ではない自分は、どうすればいいのか

 史哉を支えると強い思いをもっていても、当時の私は家族ではなかった。

 将来のことは考えていたけど、後ろめたさは拭いきれなかった。私って何なんだろうなという想いだけが、唯一ネガティブな気持ちとして残ることになった。

 わずかな葛藤を残しながらも気丈に振る舞い、彼を見舞う日々が始まった。話を聞くくらいしかできないと、無力さを日々感じるようになった。

 もっと力になりたいし、なれると思った私は、大学院を休学して新潟へ行き、ずっと付き添ってサポートしたいと思うようになり、母にも相談をした。

 この意思を彼にも直接伝えた。けれど、彼からの返答はまたも私を思いやる優しい返事だった。

「それはダメだよ。真優は真優で今やりたいことや将来なりたいことに対して、きちんと向き合ってやりなよ。俺のためじゃなくて、自分のために時間を使ってほしい」

 史哉に付き添うことが、私のやりたいことだったのに……。

 でも、彼は私の人生を第一に考えてくれて、大学院に残るように促してくれた。

 このときに結婚したいと心から思った。

 結婚すれば心置きなく付き添えると思ったからだったけど、彼を困らせてしまって余計な心労を与えてしまうと思い、喉元まで出かけた言葉を飲み込んだ。

 結局、休学せずに、時間を見つけて新潟に行くという日々が始まった。

【次ページ】 ただただ彼の命が何より大事で

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