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新日本プロレスの歴史を変えるか? カラム・ニューマン23歳の覚醒「辻陽太は面白くない」過去にはトッテナムのアカデミー所属「16歳でプロレスを選んだ」
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原悦生Essei Hara
photograph byEssei Hara
posted2026/03/28 17:10
『NEW JAPAN CUP』に優勝したカラム・ニューマンは4月4日、両国国技館でIWGPヘビー級王座史上最年少戴冠に挑む
カラムが育った地域はアウター・ロンドンのヘイヴァリングというところで、ギャングがいて、麻薬が蔓延し、環境は良くなかった。そんな世界に染まらないように、両親はカラムにサッカーや空手を習わせていた。
カラムはプレミアリーグのトッテナム・ホットスパーのユースアカデミーでサッカーをしていた。アーセナルやウエストハムからもスカウトがあったくらい、いい動きをしていたという。サッカーが好きだった父親には「息子がそこで大成してくれたら」という強い願いがあっただろうが、カラムは「ごめんね」という気持ちを抱きながらプロレスを選んでしまった。16歳の時だった。
カラムはプロレスに導かれてしまった。最初の頃は近くにあったプロレススクールに祖父もやってきて練習を見てくれて、投げられたこともあったという。そこで、カラムはウィル・オスプレイと出会った。
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トマール・ブエロのリングネームでデビューして、マスクマンのダーク・ブリタニコ(二代目。初代はオスプレイ)を名乗っていたが、やがてカラム・ニューマンの名を使うようになった。
イギリスのインディペンデント・プロモーション、London Lucha LeagueやRevolution Pro Wrestling などで試合をしていたカラムは、オスプレイに誘われる形で新日本プロレスのリングに上がることになる。
「この優勝はそこまで大きな名誉ではない」
カラムは4月4日、両国国技館で辻陽太の持つIWGPヘビー級王座に挑む。カラムのIWGP王座への挑戦は2度目だ。昨年の5月4日に福岡で後藤洋央紀に挑み、敗れた時の悔しさは、はっきりと覚えている。
「日本のファンはオレが負けて悔しがる姿を見たがっているのか。いろいろSNSを見て残念に思った。だが、オレはそんなネガティブな感情を払拭して、ここまでやってくることができた。オマエら一人ひとりがオレの失敗を望むなら望むだけ、オレはそれを力に変えて成功を収める。そして、こうして『NEW JAPAN CUP』に優勝することができた」
「でも、みんなが言うほどこの優勝というのは、オレにとってはそこまで大きな名誉ではない。土曜日の大きな試合で勝利した、という感じだ。あの日はHENAREと近くで軽く祝杯をあげただけだ。このシリーズで、オレの体は疲れていたし、首も肩も限界に近かったから、体を休めることの方が大事だった」
「後藤も、海野も、上村もいい選手だったが、単純にオレの方がアイツらより優れていたということだ。そして両国でIWGPを手にすることで、オレは“優れている選手”の一人から、ベストな、最高の選手へと生まれ変わるだろう」


