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「ダイエー復帰の約束」も「メジャー挑戦」も反故にして…“史上最大のトレード”で西武移籍した佐々木誠はなぜFA宣言残留したのか?

posted2025/07/09 17:01

 
「ダイエー復帰の約束」も「メジャー挑戦」も反故にして…“史上最大のトレード”で西武移籍した佐々木誠はなぜFA宣言残留したのか?<Number Web> photograph by Kazuaki Nishiyama

94年に西武に移籍して優勝を経験した佐々木。FA権を取得した佐々木には実はいくつかの選択肢があった

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NumberWeb編集部

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Kazuaki Nishiyama

1993年、プロ野球界を揺るがした「史上最大のトレード」でダイエーから西武へ移籍した佐々木誠。やがてFA権を手にしながらも、最終的に西武残留を選んだ。だが実は「ダイエー復帰」「メジャー挑戦」という選択肢もあったのだという。決断の裏にあった覚悟、そして一抹の後悔とは。佐々木誠が語る移籍後の苦悩と決断のダイジェスト版をお届けする。

「勝てなかった悔しさ」と「約束」――FA宣言と西武残留の舞台裏

 西武移籍後、佐々木誠は森祇晶監督の緻密な野球のもと、初の優勝を経験した。

「すごい達成感があった」「野球観は、変わりました」

 野球選手としての価値観が変わるほどの衝撃。しかし、監督交代やチーム方針の変化、そして自身の役割の変化に違和感を覚えるようになる。やがてFA権を取得したとき、佐々木にはいくつかの選択肢があった。実は、トレードされた際に、ダイエー・根本陸夫からは「2年後に帰って来い」と復帰を命じられ、詳細な条件まで提示されていたのだ。

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 さらに、水面下ではメジャーからの接触もあった。日米野球での活躍で手応えを得ていた佐々木も、“メジャー仕様”を試行錯誤していたという。

 だが、佐々木が最終的に選んだのは西武残留だった。最大の理由は「勝てなかったこと」だったという。1年目の優勝の達成感と、2年目のV逸の無念。勝者として去るのではなく、敗者のまま球団を離れることへの抵抗感から、ダイエーとの約束を自ら「反故にした」。

「何事もやり切って出ていきたかった。負けて出ていくのが嫌だった」——メジャー挑戦や古巣復帰という選択肢もありながら、西武に残る決断をした佐々木。その決断を今振り返ってどう感じているのか。

 本編では、史上最大のトレードからFA宣言、そしてその後の移籍に至るまでの葛藤と決断の舞台裏が、佐々木本人の言葉で余すところなく描き出されている。

〈つづく〉

 この記事の本編は以下のリンクからお読みいただけます。

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