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「あいつを殺してやりたい!」野村克也監督の激怒に大慌て…元ヤクルト監督・真中満がノムさんに学んで2年連続最下位→優勝させた「選手操縦術」
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佐藤春佳Haruka Sato
photograph byHideki Sugiyama
posted2025/05/07 11:02

1997年日本シリーズ第2戦。このシリーズ全試合に1番センターで出場した真中満が野村克也監督から受けた影響は大きいという
「野村ID=ガチガチの管理野球、って見られがちなんだけど、僕の中でその感覚は全くなかった。プレー自体は意外と伸び伸びとやらせてもらいましたよ。
データを用いてどうやって相手の弱点を突くか、どう攻略するか、という話は当然監督からも聞きましたけど、データはあくまでも困った時の材料として使うもの。知識が全くないより、知識を持って戦った方が武器になる。
細かいルールに縛られるのではなく、基本的には自分自身の感覚で戦っているけれど、行き詰まった時にデータやその考え方を活かすことで乗り越えられる、という認識です」
門限破り事件
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当時の野村ヤクルトの選手たちは、試合に入れば抜群の集中力で戦う反面、それ以外の時間は自由で明るくメリハリの利いたチームだった。選手寮やキャンプの宿舎に門限はあったが、あくまでもそれぞれの自覚に任せるルール。だから“事件”も多かった。
「一応は設定しておくけど、実際には野村さんも厳しく見張っていたわけではない。だからみんな門限破っていたでしょ。僕は入団1年目の秋のキャンプ中、夜中の3時くらいに帰ってきたら流石に怒られましたけどね(笑)。『もう帰れ!』と言われて飛行機で強制送還。ルーキーなのに、もうこれで引退かと思いましたよ」
「あいつを殺してやりたい」と…
名将に怒られたエピソードといえば、こんなこともあった。真中氏が駆け出しの頃、ある試合で同点のまま延長戦に突入し、無死一塁のチャンスで打席が回ってきた。初球でポップフライを打ち上げ、ベンチに戻ると鬼の形相の野村監督が待ち構えていた。
「どうやらバントのサインを僕が見落としていたんです。試合は確か延長引き分けで終わったのかな。コーチに怒られて謝り、野村監督は怖いから顔を合わせないように帰ったんですが、翌朝の新聞に『あいつを殺してやりたい』っていうコメントが載ってたんですよ」
絶体絶命の大ピンチ。肝を冷やしながら球場に着くと、グラウンドで真っ先に指揮官の元に向かったが、意外や意外、野村監督の顔色は涼しかった。