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「巨人を後悔させてやる」星野仙一が大乱闘で王貞治に拳を向け、”落合博満獲得合戦”をひっくり返したわけ…「根底にはドラフトの遺恨が」
text by

鷲田康Yasushi Washida
photograph byNIKKAN SPORTS
posted2024/12/28 11:06
1987年6月11日、宮下がクロマティに与えた死球からの乱闘で、王貞治監督に詰め寄る星野仙一(当時40歳)
星野野球のルーツは川上哲治
星野は'82年に現役生活に終止符を打つと、評論家として4年間、ネット裏から野球を勉強した。ただし籍を置いたのは地元・名古屋の放送局でも中日球団の親会社の中日新聞(中日スポーツ)でもなかった。NHKと東京に本拠を置く日刊スポーツ。中日OBとしては異例だったが、その決断の背景には両社で評論活動をしていた元巨人監督・川上哲治の存在があったのである。
「川上のおっさんはな、俺の野球の先生や」
'86年オフに中日の監督に就任した星野がこう囁くのを、スポーツ紙の中日番記者だった筆者は聞いたことがある。星野野球のルーツは中日ではない。川上野球、つまり“悪の帝国”巨人の総帥、ダース・ベイダーの野球だった。

