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<楽天外れ外れドラ1>体重50kg台、“ガイコツみたいな無名投手”が153km左腕になるまで 桐蔭横浜大・古謝樹が語る「夢はホテルマン」からの成長秘話
text by
佐藤春佳Haruka Sato
photograph byHideki Sugiyama
posted2023/10/27 11:02
楽天イーグルスに1位指名された古謝樹とは何者か。本人のインタビューをお届けする
「成瀬さんの高校時代の練習メニューを教えていただいて、必死こいてやっていきました。高校3年になって少しずつですが球が速くなってくると、『成瀬の高校時代に追いつき始めてるぞ、成瀬よりいいよ』みたいなことも言ってくださって、それも自分のモチベーションに繋がりました。今思えば、あの時に徹底してフォームを作ったことが活きているんだなと実感しています」
進路の第1志望は「ホテルマン」だった
とはいえ、高校3年時でも球速は130km台そこそこ。チームも3年の夏は神奈川大会3回戦でコールド負けするなど、全国大会とは無縁だった。プロ野球選手なんて夢のまた夢。古謝は当初、大学で野球を続ける未来すら描いていなかったという。
「野球はもういいかな、一般で就職しようと思っていました。高校2年生の時には、進路希望の紙に第1志望として、『ホテルマンになりたい』と書きました。仕事内容もよく分からなかったんですが、スーツを着ている姿が何かかっこよくて、理由はそれだけでした(笑)」
急成長の理由
しかし辞めようかと思っていた野球の道は、またも偶然拓けていく。高校3年時に古謝を目にしていた桐蔭横浜大学の齊藤博久監督が声をかけ、進学が決まった。恵まれた大学の練習施設の中で、古謝のポテンシャルは急速に開花していく。大学で始めたウエートトレーニングをきっかけに、身長は3cm伸び、体重は15kg増えた。
「大きく変わったのはウェートトレーニングで筋肉の量が増えたことですかね。高校時代は一切やっていなかったので、体重もどんどん上がっていった。食事は余り気にしていなくて、一回に食べられる量が少ないので、合間合間で何かを口にするくらいですかね。体脂肪率は今も10%切るかと思います。それでも、高校時代と同じように投げていたら、球が速くなっていきました」
齊藤監督からの助言
2年春、神奈川大学リーグのデビュー戦となった神奈川工科大との試合では、8回2死までノーヒットノーラン。相手打者がストレートに完全に振り遅れ、次々と“着払い”の三振を喫するシーンで周囲を驚かせた。すぐに先発に定着し、投げるごとに球速も上がっていく。この頃、古謝は投球フォームについて齊藤監督から助言を受けている。