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酷暑ドーハの世界陸上で「冷えを感じていた」…東京五輪を出場辞退、50km競歩・鈴木雄介の身に起きていたこと「最初は“疲れ”と思っていたが…」 

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小堀隆司

小堀隆司Takashi Kohori

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photograph byYuki Suenaga

posted2023/08/25 11:06

酷暑ドーハの世界陸上で「冷えを感じていた」…東京五輪を出場辞退、50km競歩・鈴木雄介の身に起きていたこと「最初は“疲れ”と思っていたが…」<Number Web> photograph by Yuki Suenaga

2019年世界陸上の50km競歩を優勝の後、2021年東京五輪と2022年世界陸上の出場を辞退した鈴木雄介。何が起きていたのか、本人の言葉で振り返る

 酷暑を考慮して、スタート時刻は夜の23時30分に設定されていたものの、気温は31度あり、湿度は70%を超えていた。前日のほぼ同時刻に行われた女子マラソンでは4割以上に当たる28人が途中棄権に追い込まれていたが、このレースでも45人の出場者のうち17名が失格と棄権を余儀なくされている。鈴木はレース中に感じた暑さを今でもはっきりと覚えていた。

「数字上は31度と74%なんですけど、日本の湿度よりドーハの方が圧倒的に体への感じ方がキツかったです。まるでミストサウナのような感じで水蒸気の粒が目に見えるんですよ。今年は東京も暑いですけど、陽がない時間にあれだけの暑さは経験したことがなかった。暑さのレベルが段違いだなと思って歩いてました」

東京五輪出場権がかかるレース

 レース当日は風もほとんど吹かなかった。まさに蒸し風呂に近いコンディションの中、選手はフルマラソン以上の距離を歩き続けたのだ。男子50km競歩の世界記録は3時間32分33秒だが、このレースの鈴木の優勝タイムは4時間4分20秒。厳しい気象条件のもと、運動時間が長くなったことも疲労の蓄積に拍車をかけた。

「あのレースでは40km過ぎで一度立ち止まって給水をしているんですけど、そこからの10kmが長く感じましたね。50kmのレースは自分自身2度目だったので、そういった経験不足も露呈しました。最初から4時間もかかることが予想できていたら、序盤はもう少し心拍数を抑えながら入るべきでした」

 鈴木がもし並の選手であれば、ここで棄権という選択もあり得ただろう。だが、このレースには翌年の東京オリンピックの出場権がかかっていた。さらに、鈴木自身が上り調子だったこともある。

 鈴木はリオ五輪前年の2015年世界陸上北京大会で、レース中に脚を痛めて途中棄権。両恥骨を疲労骨折し、完治までに2年半ほどを要した。そこから復帰するも、2019年3月の全日本競歩能美大会では男子20km競歩で山西利和(愛知製鋼)らに敗れて4位に。本命視していたこの種目での世界陸上出場を逃した。そこで、急きょエントリーした4月の日本選手権50km競歩で優勝し、50kmの日本代表としてドーハに駒を進めていた。

ドーハを選択したのは「いち早く代表になりたかった」

 この時点で、鈴木にはまだ複数の選択肢があった。一つは、最短で日本代表の座を勝ち取るために、ドーハでメダルを取って日本人最上位となること。もう一つは、世界陸上の後に行われる国内選考会で20km競歩の代表2枠目、3枠目を取りにいくことだ。20km競歩の現世界記録保持者である鈴木にとって、後者を選ぶことも十分にできたはずだった。

 にもかかわらず、ドーハのメダルに賭けたのはどういった理由だったのか。

【次ページ】 経験したことのない疲労感

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