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「足、震えてましたよ」DeNA山崎康晃“16歳の涙”にあった反骨の原点…最後の夏は屈辱のコールド負けに「恥ずかしくて地元を歩けなかった」 

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日比野恭三

日比野恭三Kyozo Hibino

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photograph byHideki Sugiyama

posted2023/08/20 17:01

「足、震えてましたよ」DeNA山崎康晃“16歳の涙”にあった反骨の原点…最後の夏は屈辱のコールド負けに「恥ずかしくて地元を歩けなかった」<Number Web> photograph by Hideki Sugiyama

帝京高校時代のいくつもの敗戦とその悔しさが、今の山崎康晃を支えている

悔しさが物語を次に進めていく。

 常に身近に好投手がいる。その事実は、大学時代も含め、右腕の球歴の大きな特徴だ。体が決して大きくはなく「エンジン」の出力に劣る山崎は、だから必死に食らいついて行くしかなかった。

「そういう選手たちに触発されて、絶対に負けないっていうハングリーさはいつも持っていた」

 高校野球の2年半を山崎は「ストーリー」と言い表したが、節目節目で感じた悔しさが、物語を次の展開へと推し進めていく。

「通用しない。もう野球は終わり」

 3年夏の東東京大会は、そのクライマックスになるかと思われた。集大成の大会を前に、山崎はついに背番号1を手にしたのだ。「これ、縫い付けて!」と誇らしげに四角い布を母の目の前に突きだした。

 ところが、エースでいられた時間は短かった。シナリオが最高潮を迎える前に負けた。国士舘との5回戦、7回コールドの惨敗。先発した山崎は本塁打などで失点を重ね、4回途中でマウンドを降りた。

「地元に帰っても恥ずかしくて歩けませんでした。1番といっても見せかけの1番のような形になってしまったし、エースという感覚は最後の最後まで持てなかった」

 不甲斐ない終戦は進路に対する不安に直結した。夢に賭けプロ志望届を提出する一方で、柔道整復師の資格が取れる大学に資料請求もしていた。「通用しない。もう野球は終わり」と諦めかける心の奥で、「いや、このまま終われないよな」との思いも燻っていた。まさしく人生の分岐点にいた。

「いま思えば、おもしろい選手ですよね」

 山崎は過去の自分を客観視する。

「あのとき柔道整復師の資料請求をしていたような選手が、いま日本の守護神をしてるなんて。なんか不思議な感覚」

【次ページ】 悔しかった。そこから始まった。

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