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バウアーまた炎上…「2021年の年俸約38億円→DeNAで今季4億円」“日米経済格差”の中で「87年ヤクルトのホーナー」のようになれるか?
posted2023/05/17 11:03
text by
広尾晃Kou Hiroo
photograph by
Yuki Suenaga
横浜DeNAベイスターズのトレバー・バウアーは、掛け値なしに日本に来たメジャーリーガーの中で「トップクラスの大物」である。
初のメジャー経験者は“駐留軍所属の片手間バイト”?
日本のプロ野球の公式戦に、最初に出場したメジャーリーガーは、レオ・カイリーという左腕投手だった。1953年8月8日、毎日オリオンズ(現ロッテ)のユニフォームを着て西鉄ライオンズ戦に登板。以後、帰国した9月までに6試合に登板し6勝0敗、45回を投げて自責点9、防御率1.80という圧倒的な成績を残す。それだけでなく、打者としても代打1試合を含む7試合で19打数10安打2二塁打、打率.526を記録した。
カイリーは1951年にボストン・レッドソックスでメジャーデビューしたが、17試合で7勝7敗、113.1回を投げて防御率3.34、打者としては35打数5安打、打率.143だった。翌年、朝鮮戦争に伴って兵役に就き、朝霞基地に駐留軍としてやってきていた。これを聞きつけた日系二世の毎日、若林忠志監督がスカウトして、軍務のない週末限定でアルバイト的に投げることになった。
カイリーは復員後もMLBで投げたが通算26勝27敗、防御率3.37、打者としては139打数20安打、打率.144にすぎない。当時のNPBは、MLBの一軍半的な選手が片手間でプレーしても通用するレベルだった。
カイリー以降、駐留米軍に兵役でいるプロ野球選手をアルバイトでプレーさせる球団が続出したので、NPBはこれを禁止し、これがのちの「外国人枠」につながっていく。
かつての大物、タイトルホルダーも日本でプレーした
それから70年、外国人選手は1000人を超え、NPBで不可欠な存在になった。その中には、相当な大物選手も含まれてはいる。
〈後に野球殿堂入りした選手〉
ラリー・ドビー
外野手。ジャッキー・ロビンソンに次ぐ史上2人目の「黒人メジャーリーガー」として、1947年にクリーブランド・インディアンスに入団。本塁打王2回、打点王1回。1959年に引退したが、1962年中日でプレー、当時37歳。240打数54安打10本塁打35打点、打率.225を記録。1998年殿堂入り。
〈MVPを受賞した選手〉
ソイロ・ベルサイエス
内野手。キューバ出身、1959年、ワシントン・セネタース(のちのミネソタ・ツインズ)でメジャーデビュー。1965年に最多得点、最多二塁打、最多三塁打を記録。チームも優勝しMVPに選ばれる。1972年、32歳のシーズンに広島でプレー。132打数25安打4本塁打10打点、打率.189。
〈MLBで2500本安打を記録した選手〉
ウィリー・デービス
外野手。ドジャースなどで18シーズンで2561安打を記録。オールスター出場2回、最多三塁打2回。1977年37歳で中日に入団。「ランニング満塁本塁打」で度肝を抜く。翌年はクラウンライターライオンズに移籍。2年で199試合797打数237安打43本塁打132打点、打率.297を記録。
本塁打王、打点王、首位打者などのタイトルホルダーも日本でプレーしている。