オリンピックへの道BACK NUMBER
羽生結弦の“ある行動”で記者とカメラマンが笑顔に…現地で見た、決意表明会見の“テレビ中継には映らなかった真実”「困ったような笑顔で…」
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph byAsami Enomoto
posted2022/07/20 11:24
7月19日に行われた羽生結弦の会見。明るく気遣いのある、いつもの羽生の姿がそこにあった
そこからの1時間あまりの会見で語られた言葉は濃密であり、いくつもの方向性で記事にできるかのようだった。それら詳細については、Number本誌で予定されている記事に譲るとして、羽生がときに毅然と、きっぱりと、力強さをもって語ったのは、「退くのではない」ということだった。
「寂しさは全然ない」と語った理由
例えば会見中、「決断したことに寂しさは」と尋ねられると、こう答えた。
「寂しさは全然ないです。むしろ今回、最初にこの会見の案内文を考えていたときに、『今後の活動について』とか『今後の活動に関して』みたいに書いていたんですけど、自分の中でそうじゃないなって思って」
あるいは、「決断に至った時期、競技生活を離れようと思った時期」等についての質問にはこう話した。
「競技者としてここで終了というか、ここからプロになろうと思うことは多々ありました。平昌オリンピックが終わった段階でも思いましたし、新たなスタートとして次のステージに向かいたいと。ネガティブに引退とか、何か不思議ですよね、フィギュアスケートって。現役がアマチュアしかないみたいで不思議だなと僕は思っているんですけど。実際、甲子園の選手が野球を頑張っていて甲子園で優勝しました。プロになりました。それは引退なのかなと言われたら、そんなことないじゃないですか。僕はそれと同じだと思っていて、むしろここからがスタートで、これからどうやって自分が見せていくのか、どれだけ頑張っていけるかというところが大事だと思っているので」
引退――引いて退くのではないこと、会見中に何度も言葉にした「挑戦」をこれからも続けていくことが根幹にあった。その舞台が変わるに過ぎないこと、それが誤解なく伝わるように、懸命に伝える姿があった。
はっきりと語った「今がいちばんうまい」
「フィギュアスケーターってこれくらいの年齢で競技を終えるよね、ここからうまくならないよね、むしろ停滞していったり維持するのが大変だったりするよね、という年齢がだいたい23、24歳ぐらいで切り替わってしまうのが定例みたいなものでした。だけど僕自身は23歳で平昌五輪を終えて、それから今の今まで、ジャンプの技術も含めて、かなり成長できたと思っているんですね。その中でどういう努力をしたらいいか、どういう工夫をしていけばいいかが分かったからこそ、今があるんだなと思っています。そういう意味で今がいちばんうまいんじゃないかなと思っています」
完全なる成功こそおさめられなかったが、昨シーズンの全日本選手権や北京五輪でついにチャレンジした4回転アクセル、他の4回転ジャンプの完成度、さらには先の「ファンタジー・オン・アイス」などで披露した表現面、それらを見れば、「今がいちばんうまいんじゃないか」という言葉に大げさな感じは一切ない。
「壁の向こうにはまた壁があった」とかつて語ったように、その歩みを振り返れば、壁を乗り越えてはまた次の壁にあたり、それを乗り越えて、と進化してきた時間がある。そして扉を開き続けるうちに、ついに次のステージへの扉を開いたのだ。まさに「決意表明」であった。