オリンピックへの道BACK NUMBER
「こんなことやってる場合じゃない、と」五輪を目指した“看護師ボクサー”津端ありさ(28)が感じた葛藤…開会式参加で芽生えた“ある思い”とは?
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph byShino Seki
posted2021/09/17 17:02
“看護師ボクサー”として、東京五輪の開会式にも登場した津端ありさ。その道のりの間には、複雑な思いもあった。
「その瞬間、頭が真っ白になりました」
「ボクシングでオリンピックを目指していて、調整してもらって月1回の合宿に参加させてもらったり、たくさん支えていただいていました。それを重々承知のうえで、そして現場の忙しさを知ったうえで、伝えました。『その気持ちは止められないよね』と後押ししてもらって決めました」
年が明け、現在も勤務するライフサポートクリニックに転職。夜勤がなく、また非常勤となったことで練習などのスケジュール管理をしやすくなった。また、治療の一環で運動療法を取り入れており、院内でボクシングの練習もできた。
「今もっている、医療従事者として、ボクサーとしてのスキルの両方を活用できるのに魅力を感じました」
環境を整えた矢先、思いがけない知らせを受ける。2月、最終予選の中止が発表されたのだ。そこで決まるはずだった出場枠は世界ランキングに基づき決定されることになり、津端の出場の可能性は消えた。
「連盟のコーチの方から電話で聞きました。その瞬間、頭が真っ白になりました」
日本代表合宿に参加した思い
簡単には前を向けなかった。それでも踏みとどまった。
「1週間か2週間後に日本代表合宿が組まれていました。コーチからはアジア・オセアニア予選で『鼻血が出るくらいぼこぼこに殴られて悔しい思いをしたんだから、海外の選手に1勝を目標にもう少しやらないか』と言葉をもらって、まず1勝を目標に頑張ろうと思いました。合宿にはオリンピアンの2人がいるので、全力で2人をサポートする気持ちでいかないといけない、2人の気持ちを下げるわけにはいかないと切り替えて参加させてもらいました」
5月にはロシアで行なわれた「コンスタンチン・コロトコフ記念国際トーナメント」で準優勝。「海外の選手に1勝」という目標を達成した。
「ただ、負けて準優勝でしたし、1年頑張ってこれだけやりあえるようになったんだと成果も感じて、もう少しやりたいと思いました」
国立競技場の光景が生んだ渇望「選手として、出たい」
それでも「目の前のことを頑張る気持ちしかなかった」津端に先が開けたのは、7月23日、東京五輪の開会式に参加したときだった。
「お話をいただいたのは4月です。ロシアから帰国したあとの6月に何度か打ち合わせをして7月にリハーサルを6回くらいしました」
国立競技場のグラウンドに津端は立った。そこからの光景は「圧巻でした」。