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五輪マラソン日本代表を目指し続けた
千葉真子が振り返る競技人生。

posted2020/03/11 11:00

 
五輪マラソン日本代表を目指し続けた千葉真子が振り返る競技人生。<Number Web> photograph by Yuki Suenaga

text by

林田順子

林田順子Junko Hayashida

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Yuki Suenaga

 東京五輪マラソン日本代表をめぐる戦いがついに決着した。MGC(マラソングランドチャンピオンシップ)が導入され、2017年夏から数々の物語が繰り広げられてきたが、過去のマラソン選考においても、忘れられない物語や選手は多い。
 1996年にアトランタ五輪の1万mに出場し、5位入賞を果たした千葉真子もその一人だろう。2000年シドニー、2004年アテネの両大会にマラソンでの出場を目指し、代表争いに参戦するもわずかに届かず、夢はついに叶わなかった。決してエリートではなかったと語る千葉が、自身の陸上人生を振り返る。

 陸上を始めたのは中学生のとき。テニス部に所属していたのですが、駅伝の大会で人数が足りないからちょっと手伝ってくれと誘われたのがきっかけです。テニスは3年間続けましたが、1回戦負けしたこともありましたし、運動神経が良くなかった(笑)。そんな何の取り柄もない私が、手伝ってよと声をかけてもらえたのですから、認められたようでうれしくて。

 テニスの場合はまず市の予選があって、それから地区大会に進みます。それが駅伝だといきなり地区大会に出られる。憧れていた大会に出場できるということでモチベーションもグンと上がって。数カ月トレーニングを積んで、大会に出場しました。ちょっとトレーニングをしただけでしたが、そこそこ活躍できて、これはテニスよりも陸上に向いているなと思ったんです。

実業団に入れたのはおまけ。

 そこで高校では本格的に陸上をやることにしました。一番近所にある高校が、全国高校駅伝の常連校、名門・宇治(現・立命館宇治)高校。陸上に専念するためにこの高校に入学したのですが、練習1日目で「これはとんでもないところに来てしまった」と愕然としました。まず、練習に全くついていくことができない。さらに次の日は筋肉痛で起き上がれないし、足の裏には5個ぐらいマメができていて。挫折をしかけましたが、学費の高い私立校に入れてくれた親のことを考えたら、1日で辞めたいとは口がさけても言えない。親に申し訳ないという気持ちと自分の意思を曲げたくないという信念で、続けることにしました。

 そんなレベルですから、1年生の時には補欠にもなれない。補欠の次のポジションとして、選手の付き添い役があるのですが、これは来年期待がもてる選手が選ばれることになっていて、私はそれにも選ばれず、ただ沿道で応援する日々でした。結局高校の3年間、駅伝では全国大会に出ましたが、個人種目では一度も行けませんでした。

 だから私が実業団に入れたのもおまけのようなものでした。当時、同学年に強い選手が3人いて、彼女たちは旭化成に入ることが決まっていた。入社前に彼女たちの練習風景を宗茂さん・猛さん兄弟が見学に来たのですが、そのとき「あの子も面白そうだから、一緒に入れてみたらどう?」と言ってくださったんです。

 ところが所属してすぐに行われたチーム内の1万mの記録会で、5000mでは敵わなかった高校時代のライバルにポーンと勝てたんです。しかもそのときのタイムがジュニア記録の上位に相当すると言われて。高校では3000mや5000mがメインですが、この距離ならいけるんじゃないかと希望が見えてきた。

【次ページ】 トントン拍子でアトランタ五輪へ。

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