“Mr.ドラフト”の野球日記BACK NUMBER
ドラフトで高校生指名が上手い球団。
「パ高セ低」にも変化が起きる?
posted2019/11/12 19:00
text by
小関順二Junji Koseki
photograph by
Hideki Sugiyama
大豊作ドラフトと言えば1968年だ。
のちに名球会(投手は200勝、250セーブ以上、打者は2000安打以上が入会の条件)入りするのは山本浩二(法政大→広島)、有藤通世(近畿大→ロッテ)、山田久志(富士鉄釜石→阪急)、東尾修(箕島高→西鉄)の1位指名組。
2位以下でも加藤秀司(松下電器→阪急2位)、福本豊(松下電器→阪急7位)、大島康徳(中津工高→中日3位)と7人もいた。
さらに名球会の合格ラインには達していないものの、田淵幸一(法政大→阪神)、富田勝(法政大→南海)、星野仙一(明治大→中日)、大橋穣(亜細亜大→東映)、野村収(駒沢大→大洋)の1位組、藤原満(近畿大→南海4位)、金田留広(日本通運→東映4位)、島谷金二(四国電力→中日9位)、大田卓司(津久見高→西鉄9位)など、下位指名組も球界を代表する選手になった。
'89年も思い出深い。
のちに名球会入りしたのは野茂英雄(新日鉄堺→近鉄1位)、佐々木主浩(東北福祉大→大洋1位)、古田敦也(トヨタ自動車→ヤクルト2位)、前田智徳(熊本工高→広島4位)がいた。さらに西村龍次(ヤマハ→ヤクルト)、小宮山悟(早稲田大→ロッテ)、潮崎哲也(松下電器→西武)、佐々岡真司(NTT中国→広島)らその他の1位指名組もチームの主力に育った。
近年は高卒指名が増えてきた。
この両年の特徴は成功選手に高校生が少なかったことだろう。
ここまで名前を出した24人の中に高卒選手は東尾、大島、大田、前田の4人しかいない。そのためだろうか、翌年以降しばらく高校生の1位指名が極端に少なかった。'69年は太田幸司(近鉄)、八重樫幸雄(ヤクルト)の2人だけである。ドラフト元年の'65年には8人、'66年の第一次は11人、第二次は6人、'67年は5人もいたのに、である。
野茂で沸いた'89年も高校生の1位指名は元木大介(上宮高→ダイエーを拒否)たった1人で、'90年は2人、'91年は4人だった。それ以前の'87、'88年には6人もいたのである。
これらのことから、即戦力候補が活躍した翌年以降のドラフトでは、大学生、社会人の上位指名が増え、高卒選手が活躍すると翌年以降は高校生指名が増えるということがわかる。
現在は高校生の1位指名が増えている。'12~16年の5年間は各4人だったのが、'17年は5人、'18年は5人、'19年は7人と増加傾向にある。これは近年活躍した高卒選手の影響があるのは明白である。