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最も青赤を着た男・徳永悠平の独白。
FC東京との絆、長崎での「やりがい」。
text by
馬場康平Kohei Baba
photograph byGetty Images
posted2018/03/03 11:30
ロンドン五輪ではオーバーエージとして、いぶし銀の働きを見せた。そのマルチな能力を故郷のために捧げる。
「あいつはすごいから要求が高くなる」
気の毒に思えるほど細かい注文は、期待の裏返しでもあった。当時の指揮官は、本人の知らないところで「あいつはすごい。だからこそ要求が高くなる」と言い、いつも賛辞を惜しまなかった。そうした日々が、フィジカルに頼っていた彼を、微に入り細をうがつDFへと成長させ、選手寿命を延ばしたのだろう。
そして、並み居るライバルを寄せ付けず、毎年30試合を超える公式戦に出続けてきた。J1と、J2合わせて395試合出場という数字を積み上げ、クラブ史上最も青赤を着て試合に出場した選手となった。それが彼の誇りだった。
「こだわりを持ってやってきたし、試合に出てナンボだと思っていた。自分1人の力だけでなく、いろんな人の支えがあってこれだけたくさんの試合に出場できた。東京で試合に出続けたことは俺の誇り」
「地元の長崎でいつかプレーしたい」
青赤の一本道を歩んできた男は昨年、大きな決断を下した。「いつか恩返ししたいと思ってきた」という地元・長崎に活躍の場を求めたのだ。
「ずっとプレーしてきた東京で、現役を終えると思っていたし、正直、青赤以外のユニフォームに袖を通す姿は想像できなかった。ただ、地元の長崎でいつかプレーしてみたいという思いもどこかにあった。移籍を決断するにあたって長崎のクラブ関係者からゆかりのある選手を集め、地元を盛り上げていきたいというビジョンを聞いた。そこに共感したし、国見出身の選手とまた一緒にプレーしたいと思った。
35歳になる今、若い時はここまでプレーできるとは思っていなかったけど、そんな年齢で新しい目標が見つかったことは大きな決め手になった」
東京と別々の道を歩むことには、こう口にしていた。
「ここでプレーしてきたという事実は変わらない。これからも俺が東京を思う気持ちも、東京の人が俺を思ってくれる気持ちも変わらないと信じている。そういう絆があれば、どんな未来が待っていてもいい」
普段、口数が多くない彼が語った言葉に、長年過ごしたクラブへの思いが詰まっていた。