ぼくらのプロレス(再)入門BACK NUMBER
桜庭和志は、プロレスファンの光だ。
アジア初のUFC殿堂入りが誇らしい。
posted2017/07/15 08:00
text by
堀江ガンツGantz Horie
photograph by
Getty Images
アメリカ現地時間の7月6日、ネバダ州ラスベガスのパークシアターにて開催されたUFC殿堂入り式典。桜庭和志は、羽織袴にオレンジの覆面(サクマシーン)姿という、やや奇怪な出で立ちで登壇。シャイな英雄はマスクを脱ぐと照れ笑いを浮かべながら、受賞のスピーチに立った。
ジョークを交えながら話すその姿は、どこか羽織袴にちょんまげカツラ姿でカンヌ映画祭のレッドカーペットに登場する北野武監督を彷彿とさせた。
日本以上に欧州を中心とした海外で高い評価を得ている“世界のキタノ”。それと同じように、“SAKURABA”の名声は、今や日本以上に海外で高まり、ファン、選手、関係者から大きな尊敬を集めているのだ。
UFC出場経験わずか1試合にもかかわらず、日本人(アジア人)初のUFC殿堂入りを果たしたのは、それを象徴するものと言えるだろう。
あの時、プロレスは桜庭によって救われたのだ。
日本では、ここ10数年でプロレスと格闘技の棲み分けが急速に進んだため、もしかしたら今のプロレスファンの中には、桜庭のUFC殿堂入りを別世界の話のように感じている人もいるかもしれない。
しかし、1997年12月に『UFC JAPAN』で黒帯柔術家マーカス・コナンを破って以降の桜庭の活躍ぶりは、日本のプロレスファンにこそ讃えてもらいたい、そして誇りに思ってもらいたい。あの時、プロレスは桜庭によって救われたのだ。
'90年代後半、日本のプロレス界は深刻な危機を迎えていた。
闘魂三銃士(武藤敬司、蝶野正洋、橋本真也)や、全日本四天王(三沢光晴、川田利明、小橋建太、田上明)らの活躍で、新日本プロレスや全日本プロレスの会場には、多くのファンが詰めかけていたが、その一方で、当時はまだ存在した「プロレス最強神話」が、急速に色褪せはじめていた。