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21歳にしてモンゴルの王の風格か。
種も仕掛けもある、逸ノ城の躍進。

posted2014/10/01 10:30

 
21歳にしてモンゴルの王の風格か。種も仕掛けもある、逸ノ城の躍進。<Number Web> photograph by Kyodo News

13日目には横綱鶴竜をはたき込みで下し、1973年の大錦以来となる新入幕での金星をあげた。場所後には殊勲賞と敢闘賞を受賞。

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阿部珠樹

阿部珠樹Tamaki Abe

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Kyodo News

 逸ノ城がモンゴルの遊牧民の出身で、子どものころから馬を乗りこなしていたという話を聞いて、すぐに思い出したのはユーリ・アルバチャコフのことだ。ユーリの出身地は西シベリアのタシュタゴルという町。モンゴルの国境まで300kmほどという辺境である。子どもの頃、誕生祝いに仔馬をもらい、いつもそれで遊んでいた。隣の家まで10kmもあるような環境で、どこに行くにも馬に乗っていたそうだ。

 馬に乗るのは全身運動で、特にバランス感覚が大事になる。ユーリの身のこなしも、巨大なのに鈍さというものを全く感じさせない逸ノ城の土俵上の動きも、もしかすると馬によってはぐくまれたのかもしれない。

 逸ノ城とフライ級の世界王者。ふたりは馬を乗りこなすだけでなく、風貌にもどこか似たところがある。特に似ているのは目だ。細く切れ上ったモンゴロイドの典型のような目で、試合になるとその奥にかすかに青白い野生の光が宿るような気がする。守勢に回った時は粘り強く、相手にわずかな隙があると見たときには驚くようなスピードで仕留めにかかる。

下位の者が正面からぶつかるのが最善の手だろうか。

 野生動物はギャンブルをしない。「強い気持ち」だけを頼りにイチかバチかの勝負に出るようなことはせず、負けてもいいからきれいに戦うといった美学とも無縁だ。

 逸ノ城は秋場所、ふたりの大関とひとりの横綱を破ったが、そのうち二番は立ち合いに変化を見せての勝利だった。当然、「下位の者が大関、横綱に変化するとは」と失望や批判の声も出たが、そのことを恥じるような言葉は本人から出て来なかった。

 これは逸ノ城からすれば当然だろう。食うか食われるかの土俵で、番付が下の者が、なんの策もなく、正面からぶつかるのが最善の手と考えるほうがおかしい。下位の者の変化に対応できない上位力士のほうが責められるべきなのだ。逸ノ城の変化には野生のサバイバル術が透けて見えたように思う。

【次ページ】 「突然現れた野生児」ではなくエリートコース。

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