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なぜ菊池雄星の球威は落ちたのか?
速球派の新人投手に待ち受ける罠。
text by
中村計Kei Nakamura
photograph byKyodo News
posted2013/01/20 08:01
ドラフトで1位指名を受けた楽天・森雄大。「新人王を獲るぐらいの気持ちでやりたい。そして、いつかWBCのメンバーに入って、日本を代表するような左投手になりたい」
楽天のドラ1ルーキー森雄大が、不思議そうに話していた。
「プロに入ったら球速が落ちるピッチャーが多いじゃないですか。あれって、何でなんですかね」
森の高校時代の最速は148キロだ。好調時のストレートの感触をこう語る。
「ボールをリリースする直前、ボールが一瞬、宙に浮く。それを上から、ガーンとたたき下ろす感じ。その感触があるときは、ほとんど打たれたことがない」
順調に成長すれば、150キロの壁を破るのも時間の問題だと思われる。
確かに、アマチュア時代は軽く出ていた150キロ近い速球が、プロに入った途端、130キロ終盤ぐらいに落ち着いてしまうという投手をよく見かける。
最近では、西武の菊池雄星がそうだった。昨年あたりからようやく球速が戻ってきたが、最初の1、2年は、高校時代の150キロ台のストレートはすっかり影を潜めてしまった。
「二軍ではストライクが入るけど、一軍に上がると入らなくなる」
日本人として初めて160キロの壁を破った元ヤンキースの前田勝宏が、こんな「意外」な話をしていたことがある。
「西武時代は、二軍ではストライクが入るんだけど、一軍に上がるとストライクが入らなくなった。球速も140キロも出ないこともあった。自分の中では、こういう体勢で投げにいって、ここで壁をつくって、ここで離すというイメージがあるんです。でも、一軍だと、その形ができる前に投げてしまう」
前田のイメージを決定づけたのは西武入団3年目、1995年オフの「退団騒動」だった。
西武との契約更改を拒否し、アメリカ行きを熱望。その態度に根負けした西武は、いったん契約を結ばせ、翌年5月に金銭トレードで前田をヤンキースへ放出した。
一連の行動によって「わがままだ」、「自分勝手」だというバッシングを浴びたが、神戸弘陵時代の恩師、石原康司氏が「元来は、繊細で、優し過ぎるぐらいの男」と話すように、実際の前田は、世間で思われているほど図太い男ではなかった。
「一軍で活躍できなかった理由は、今になるとわかる。怖さですよ。打たれるんじゃないかという怖さがあるから、いつものフォームで投げられなくなってしまうんです」