スペインサッカー、美学と不条理BACK NUMBER
リーガ1部に復帰したガリシアの両雄、
デポル&セルタを支えるベテランの姿。
text by
工藤拓Taku Kudo
photograph byMarcaMedia/AFLO
posted2012/06/15 10:30
5月27日、2部での優勝を決めてチームメイトに胴上げされるデポルのバレロン。
悲しみと喜びをファンとともに分かち合ったバレロン。
当時ほど華やかな顔ぶれではなくなったガリシアの両雄だが、それでもオールドファンは来季のガリシアダービーを楽しみにしているに違いない。なぜなら黄金期を知る数少ない生き残り、デポルティーボのバレロンと、セルタのオウビーニャが健在だからである。
バレロンは、“エル・フラコ(やせっぽち)”のあだ名通り接触プレーは苦手ながら、常に相手の逆を突くボールコントロールと絶妙なコース取りのドリブルでマーカーを剥がし、観る者が予想だにしないスルーパスを通してゴールを演出する。その優雅なプレースタイルをジダンと比較する人も少なくない彼には、日本人ファンも多かった。
中でも第1レグを1-4で落とした後の、第2レグで4-0と大逆転した'03-'04シーズンのCLミラン戦は今でも世界のサッカーファンたちの語り草になっており、バレロンはその試合でミランの中盤を翻弄するなど、後期スーペルデポルの中心として輝きを放ってきた。
それが'06年に左膝の前十字靱帯を断裂して以降は2年以上もピッチを離れ、復帰後も1年以上はコンディションが戻らなかったことで、もはや終わった選手と言われるようになった。だがチームが降格の危機に瀕した昨季の終盤になり、彼は突如として復活を遂げる。結局チームの降格を避けることはできなかったが、1年後には「ファンに言えることはただ一つ。1年後、一緒にここで昇格を祝おう」との言葉を見事に実現してみせた。
オルトラ監督の下で不動の司令塔として活躍した今季、バレロンは36歳にしてキャリアで2番目に長い2843分間というプレー時間を記録し、自己最多のシーズン5ゴールを挙げた。昇格を決めた直後には37歳で迎える来季に向けては明言を避けたが、数日後には1年間の契約延長を明言している。
左膝の故障に苦しみ続けたオウビーニャのサッカー人生。
オウビーニャもまた、若くしてフル代表デビューを果たした才能の持ち主ながら、膝の負傷でキャリアを狂わされた選手だ。セルタのカンテラ生え抜きで、'03-'04シーズンに当時21歳でトップチームデビュー。その年チームが2部に降格すると、翌シーズンは中盤の底から小気味よくショートパスを捌いてゲームを組み立てる司令塔として絶対的な地位を築き、1年での1部復帰に貢献した。
'06年ワールドカップ直後にはスペイン代表初選出も果たすなど順調なキャリアを歩んでいた。だが、チームの2部降格に伴いバーミンガムへレンタル移籍した'07年に左膝の靱帯を断裂し、以降3年半もの間リハビリと再離脱の繰り返しを強いられてしまう。現在の代表は彼のプレースタイルにマッチしているだけに、あのケガがなければシャビやセスクのような選手になっていたという声はいまだに根強い。