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上野広治 「競泳日本代表を革新した男」 ~お家芸復活の舞台裏~ 

text by

松原孝臣

松原孝臣Takaomi Matsubara

PROFILE

photograph byTakao Fujita

posted2010/01/18 10:30

上野広治 「競泳日本代表を革新した男」 ~お家芸復活の舞台裏~<Number Web> photograph by Takao Fujita

アテネ五輪の男子100m平泳ぎで北島は見事に金メダルを獲得。表彰式後、駆け寄った観客席で、北島ががっちりと握手を交わす相手が上野広治氏

コーチと選手の間の溝、選手間の対立がもたらす悪影響。

「競泳は一人のコーチが長年にわたり同じ選手を指導する競技です。優秀なコーチであっても、見すぎているために、選手のちょっとした泳ぎの変化を見落とすことがあります。かえってほかのコーチが気づいたりする。でも、自分の教えている選手じゃないから、と見て見ぬふりをしていた。情報を共有するという考えがなく、オープンマインドでもなかったんですね。

 コーチと選手の間の溝も深かった。学校の保健室ではないけど、トレーナーの部屋に来ては、選手がコーチに対する不満をこぼしていたのです。コーチとの間のコミュニケーションが取れなかったからです。それではどんな指示を出しても選手には伝わらない」

 以前、アトランタ五輪の期間中の様子について、ある選手がこんな話をした。コーチが「メダルを獲れ」と強調するあまり、選手が反発し、手を携え戦うべき両者に対立関係が生じた。選手間でも、仲の良し悪しによってグループが形成され、極端に言えば、レースに臨む前に代表内で戦っている状態であったと言う。それは精神面にも影響を及ぼした。再び上野が語る。

「過度の緊張のせいで、レース前にもかかわらず泳いだかのような筋肉のはりのある選手もいたようです。それくらい独特の雰囲気を持つのがオリンピックなんです。なのに、支えてくれる存在がないから選手は一人で重圧を受け止めてしまうことになった」

学校同士の対抗試合をヒントに、代表のチーム化を。

 反省を経て打ち出したのが、代表をチームにすることであった。

「ヒントは、学校同士の対抗試合にありました。各学校のクラブが一丸となることで選手もいい泳ぎをする。オリンピックも同じなんじゃないかと思ったのです」

 実はヘッドコーチ就任の前、上野はジュニアの選手をつれて国際大会に参加した経験はあったが、ナショナルチームとのかかわりは皆無であった。高校で保健体育を教え、水泳部を指導する教員にすぎなかった。自身もヘッドコーチ就任を「抜擢」と表現する。一方で、こうも語った。

「自分が選ばれたのは、学校の先生をしていたからだろう、とも思いました」

 上野は、日本代表のチーム化に着手する。まずは、スイミングクラブ間の垣根を取り払うことに努めた。代表には、異なるスイミングクラブからコーチと選手が集う。クラブ間の対抗意識は強い。自分たちのクラブの好成績を何よりも願い、張り合うことも珍しくなかった。一つのチームの中に、いくつものチームがあるような状態だった。

 その作業は決してたやすくなかった。長年に渡ってしのぎを削ってきたライバルである。日本を支えてきた自負も強い。クラブをまわって話し合いを重ね、頭を下げたこともあると聞く。上野自身は、「過ぎ去ったことですから」と笑って多くを語らない。

【次ページ】 「感謝の念もない選手は強くもなれない」

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