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『ふたつの東京五輪』 第4回 「選手村で世界と出会う(1)」
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph byPHOTO KISHIMOTO
posted2009/06/25 11:00
[ 第3回はこちら ]
取材パスを手に入れた岸本健は、試合では見られない選手たちの素顔を垣間見る──。
今回は、選手村についてお話しましょう。
オリンピックでは、参加する選手やコーチなどが宿泊する施設である選手村が作られます。そして数あるオリンピックの中でも、東京オリンピックの選手村は、特別な空間であった。そう言えると私は思います。
選手村は、今の代々木公園にあたる一帯にありました。開・閉会式の行なわれたメインスタジアムである国立競技場へも十分に歩いていけるような近い場所です。あのあたりの土地は、第二次世界大戦が終了後に駐留してきたアメリカの軍隊のための居住地として接収されていました。「ワシントンハイツ」という名前で呼ばれていましたが、オリンピックの招致に成功すると、開催を前に返還されることになりまして、選手村として活用したのです。
選手村に足を踏み入れることなく帰国した選手たち。
選手村は10月10日の開会式に先立つこと約ひと月前、9月15日に開村しました。海外からの選手たちの入村が本格化したのは、10月に入ってからのことだったでしょうか。閉会式の翌日、10月25日に離村式が行なわれ、村自体が閉鎖されたのは11月5日のことです。
実は入村をめぐって、こんな出来事がありました。インドネシアの代表選手団が9月28日、北朝鮮の選手団は10月4日に来日したのですが、当時の政治情勢も絡み、出場資格停止処分を受けている選手がいました。すると選手村に入ることが許されないわけです。組織委員会は、国際競技団体と処分緩和の交渉を続けましたが、結局、両国は参加することなく、帰国していきました。
冷暖房完備でお湯も出る! 豪華な宿舎に驚いた。
広大な選手村内を移動する手段として巡回バスが走っていたほか、各競技会場へもバスが連絡していた
私は競技を撮影するためのパスは持っていませんでしたが、幸い、選手村の中で発行されることになっていたある新聞の取材パスをもらうことができました。それで選手村の中に出入りすることができるようになると、選手たちの姿をフィルムにおさめたいと、通うようになりました。
選手村の敷地内に足を踏み入れて驚いたのは、なんといっても風景です。広々とした道路、ゆとりのある一軒家や集合住宅。それはまるで映像でしか見ることのないアメリカの郊外であるかのようでした。敷地は、92万4000平方メートルもあったそうです。ともかく広大でしたから、村内を巡回バスが走っては選手たちを運びました。また、自転車で行き来する選手の姿もありました。
建物の中に入るとさらに驚かされることになりました。冷暖房が完備されているうえに、セントラルヒーティングの設備があってお湯が出るのです。当時の日本社会の生活水準ではとうていありえないことです。ほんとうに豪華だなあと感じさせられました。裏返して言えば、アメリカ軍の生活がいかにぜいたくだったかということにもなりますね(笑)。今も、代々木公園の中に宿舎の一部が保存されていますので、当時の面影を見ることができます。