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岩隈久志 「さまよえるエースの完璧な帰還」 

text by

中村計

中村計Kei Nakamura

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photograph byHideki Sugiyama

posted2009/01/06 00:00

岩隈久志 「さまよえるエースの完璧な帰還」<Number Web> photograph by Hideki Sugiyama

 プロ野球選手にとって、フォームとは呼吸法のようなものだ。当たり前になっている動作だけに変更は容易ではない。岩隈は一時期、それまでのようにボールにスムーズに力を伝えることができなくなってしまった。試行錯誤を重ねるうちに今までと違った部位に負荷がかかり、ヒジまでもが疼き始めた。

 「フォームが頭の中でこんがらがっている上に、肩ヒジの痛みという恐さがあった」

 移籍2年目は、わずか1勝。3年目は5勝。近鉄時代、その容貌とあいまって「なにわのプリンス」と呼ばれたマウンド上での存在感は見る影すらなくなっていた。

 「去年1年間なんて、何をやっていたか、ほとんど記憶にないですもんね……」

 そんな自分と決別しようと、'07年10月、岩隈は手術を決意する。2年間、違和感を感じ続けていた右ヒジの遊離軟骨を内視鏡手術で除去したのだ。

 「来年はやってやるという強い気持ちがあったので、不安は全部取り除いておきたかった。あの手術で全部リセットできましたね」

 前を向き始めると「景色」の見え方までもが変化した。あれほど突き刺さっていた野村克也監督のボヤキも肯定的にとらえられるようになった。

 「言葉はキツイけど、文句じゃなく、あれは期待なんだと。言われてるんじゃなくて、言ってくれてたんだと思えるようになった」

 心の変化はキャンプ中の態度にも表れる。初日から捕手を座らせての投球練習を開始。手術したヒジの耐久性を試すために200球の投げ込みを二度も敢行した。また、早くから開幕投手を目指すと公言し続けた。

 ただ、オープン戦に入っても結果がともなわず、指揮官は田中の開幕投手の可能性を示唆し始める。だが開幕1週間前、岩隈は千葉ロッテ戦で6回を2安打無失点に抑える好投を見せ、再びその権利を手繰り寄せた。

 「そんなに焦ってなかった。オープン戦はテストの場だと思っていたんで。ただ、報道を通して、そういう(田中が候補に浮上しているという)雰囲気も伝わってきていた。だから初めて試合モードで投げたんです」

 ソフトバンクとの開幕戦は7回を1失点に抑えるも、新ストッパーのドミンゴが柴原洋に逆転サヨナラ3ランを浴び、勝ち星が消えてしまった。それでも、続く2戦目のオリックス戦、岩隈は楽天のユニフォームでは初となる完封勝利を挙げると、近鉄時代を彷彿させる勢いで白星を重ね始める。6月29日のソフトバンク戦では自身の連勝を8まで伸ばすと同時に、楽天史上最多となる12勝目を挙げた。近鉄時代からのチームメイトでもある藤井は岩隈の変化をこう説明する。

 「今年は何よりフォークがよかった。近鉄時代は、真っ直ぐとスライダーだけでしたからね。それに加えてカーブもある、シュートも放った。21勝しましたけど、ダルビッシュとどっちが凄いって聞いたら、ダルビッシュって言う人の方が多いと思う。でも、この低めにボールを集めてバットの芯を外す技術はダルビッシュにはまだないですよ」

 その違いは今季の被本塁打数にはっきりと表れている。岩隈が3本だったのに対し、ダルビッシュは11本。岩隈が残した数字の中で、もっとも特筆すべきなのはこの被本塁打数だ。戦後、200回以上投げた投手の中で3本以下だったのは、岩隈を含めわずか3人しかいない。1958年、阪急の秋本祐作(3本)以来、実に50年ぶりの記録だった。確率的には21勝以上に価値があるとも言えるのだ。

(続きは Number719号 で)

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