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法華津寛 「今も進歩している」
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph byKai Sawabe
posted2008/02/28 16:20
「時の人」である。
スポーツ新聞ばかりでなく一般紙も紙面を割いて大きく取り上げ、テレビで連日、クローズアップする。百件近い取材依頼が舞い込んでいるという。
「こんな誰も知らない年寄りをなんでかね」
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5年前、定年退職とともに渡ったドイツで単身生活を送りながら馬術に打ち込む当の本人は苦笑する。
馬場馬術の法華津寛は、1月31日、フランスで行なわれた北京五輪予選会の日本代表団体の一員として出場した。日本勢で最高点を記録した法華津の活躍もあり、2月12日、日本の団体出場権が決定。翌日には予選会出場メンバーの北京五輪代表内定が発表された。
法華津にとって五輪出場は1964年の東京大会以来44年ぶりであり、66歳(本大会時は67歳)は日本五輪史上最高齢代表でもある。
馬術は男女の区別がない。体力の優劣では順位のつかない競技だからだ。ソウル五輪には、井上喜久子が63歳で出場している。
しかし、「44年ぶり」「66歳」のインパクトは大きい。本人の思いをよそに、挑戦者、ストイックなどなど、さまざまな言葉に彩られていったのである。
果たして、法華津寛の競技人生とはどのようなものであったのか。
馬術は、障害飛越、総合馬術、馬場馬術の3種目が五輪競技に定められ、それぞれに団体と個人戦がある。
馬場馬術は、幅20m、長さ60mの四角い馬場で演じられる馬術に複数の審判員が点をつける採点競技である。目の肥えた観戦者でなければ分からない小さな合図で馬と意思疎通を図り、馬は高度な技を披露する。トップレベルともなれば、あたかも馬が己の意思で演技をしているように見えることもある。だが、「人馬一体」ともいわれる域に達するには、馬と毎日、根気強くトレーニングをし、数年かかることもある。気の長い競技である。
法華津が馬術を始めたのは、中学1年、12歳のときだった。
初めて馬に跨った日を、法華津は今も鮮明に覚えていると言う。
林間学校は軽井沢だった。最後の日の午前中、体育の先生が一頭の馬を連れてきて、生徒全員を乗せてくれた。
法華津は初めて接した馬に興味をいだき、その日の午後、三人の友達と連れ立って旧軽井沢の乗馬倶楽部へ向かった。馬を借りて跨ると、歩いていても手の届かない木の枝に触れることができた。一本失敬すると、枝を鞭に舗装のない土の道を歩いていった。
東京の自宅に戻ると、父に「乗馬を始めたい」と願った。父は、今も参宮橋にある東京乗馬倶楽部へと連れて行ってくれた。法華津は毎週末、夏休みや春休みは毎日クラブに通った。
馬術に夢中の年月を過ごし、'64年、23歳のときに障害飛越で東京五輪に出場する。
結果は個人戦40位、団体戦12位。
「無我夢中で覚えていないなあ。出た、というだけの印象しかない」
その後、アメリカ留学を経て就職。仕事と馬術をかけもちする生活が始まった。
午前5時に起床し自宅から30分の馬房へ向かいトレーニング。終えると自宅に戻り、支度を整え会社へ。そんな日が何十年と続いた。
「冬の寒い日、前の晩遅くまで飲んだ朝とかさ、辛いと思うことはあったよ。でも、いつしか休むことに罪悪感を覚えるようになる。すると辛くても起きるんだね」
'88年にソウル五輪代表にも選ばれた。24年ぶりの五輪代表だった。
だが、大会に出場することはなかった。愛馬が出国前の検疫でウイルス陽性反応を示し、ソウルへ送ることができなかったのだ。法華津はすでにソウルに入っていたが、馬なしでは欠場せざるをえなかった。
「馬が来られないと分かった時点であきらめたから、落胆はなかったな」
と、静かに振り返る。
この大会は、しかし、その後の競技人生に大きな意味をもつこととなった。
オーストラリア国籍のグール・ワディアは、法華津を40年前から知り、イギリスやオーストラリアなどでトレーナーを務めたあと、'83年から'94年までプライベート・トレーナーを務めた。彼女は当時をこう語る。
「私は以前から、『ベーシックス(基礎)が低くても日本では勝てる。けれど世界では通じない』とアドバイスしていたのですが、ソウルで他の馬をじっくり観察することで、ベーシックスの大切さを知り、レベルをあげることを意識し始めましたね」
法華津自身もこれを認める。
「ソウルで得たものがある。けれど、言葉にするのは難しいんだよね。強いて言えば、『いいイメージ』を得たということ。それ以後、イメージに自分を近づけるための方法を探しながらやってきたようなものです」
イメージに近づくための方法とは何か。それは、体の内部を修正する試みであった。
「人間、体に癖があったり歪んでいる部分ってあるでしょう。外から見ていても分からないような。その修正をずっと試みてきたんです。まず、癖のために体の中のどこの筋肉を使っているのかをみつける。そのあとに、あ、ここの筋肉をこういうふうに使えばこうなる、こうなおると理解して、それを意識しないでできるようになるまでにひと月、ふた月。実際に馬に乗ってみて、良くなっていないことがある。間違っていたわけだから、違う方法を探さないといけない。その繰り返しをずっとやってきましたね。なおると自分自身も楽だし、馬にかかる負担も小さくなるんです」
(以下、Number698号へ)