格闘技PRESSBACK NUMBER

「狂った時代だった」曙の独占取材のため“名古屋→東京を経費でタクシー移動”した記者も…「紅白に一撃を食らわせた」ボブ・サップ戦前夜の熱狂 

text by

布施鋼治

布施鋼治Koji Fuse

PROFILE

photograph byEssei Hara

posted2024/04/19 17:00

「狂った時代だった」曙の独占取材のため“名古屋→東京を経費でタクシー移動”した記者も…「紅白に一撃を食らわせた」ボブ・サップ戦前夜の熱狂<Number Web> photograph by Essei Hara

2003年大晦日に行われたボブ・サップvs.曙。空前の格闘技ブームも後押しして、瞬間最高視聴率は43.0%と同時間帯の紅白歌合戦を上回った

敗北続きでも…曙こそ格闘技ブームの象徴だった

 後にも先にも大晦日のキラーコンテンツとして、これ以上のマッチメイクはないのではないか。老若男女を問わず楽しめる、わかりやすさを最大限にデフォルメした一般大衆向け格闘技の完成形だった。

 案の定、サップvs.曙は同日の絶対王者であるNHKの紅白歌合戦に一撃を食らわせる。瞬間最高視聴率43.0%と、同時間帯の紅白を超えることに成功したのだ。

 しかしマッチメイクの成功とは裏腹に、曙はサップの豪腕の前に1ラウンドKO負け。夢とロマンは木っ端みじんに打ち砕かれた。曙は大きなショックを受けたが、高視聴率を叩き出した業界関係者はみな喜んでいたという。テレビ格闘技の現実を目の当たりにした思いだった。

 その後も強豪とのオファーが次々に舞い込んだが、曙はチャレンジ精神を忘れず全て受けた。そのせいで黒星が先行した。2004年9月のK-1でレミー・ボンヤスキーのハイキックで大の字になった場面は、横綱時代の曙を知る者にとってショック以外のなにものでもなかった。

 その翌年、韓国で行われた『K-1 WORLD GP 2005 in SEOUL』で念願の初勝利をあげたとき、筆者もちょうど現地で取材していた。大会後、現地の関係者に食事に連れていってもらうと、偶然にも同じ店で曙も食事をしていた。しみじみと勝利の味を噛みしめるような笑顔が印象的だった。

 もし現在のBreakingDownのように、狭いケージ内かつ短時間で決着がつく闘いの舞台があったら、曙はもっと活躍できていたのだろうか。

 とはいえ、筆者は思うのだ。サップと初めて闘ったころの曙こそ、2000年代の格闘技ブームの象徴だったのではないか、と。

 2003年はこの一戦をメインに組んだナゴヤドームの『K-1 PREMIUM 2003 Dynamite!!』だけでなく、関東地区ではさいたまスーパーアリーナで『PRIDE SPECIAL 男祭り 2003』が、関西地区では神戸ウイングスタジアムで『INOKI BOM-BA-YE 2003』が行われ、いずれも地上波で同日中継されるという未曾有の視聴率戦争を繰り広げていた。

 結果はカードが出揃った時点である程度見当がついていたが、やはりサップvs.曙を前面に押し出したK-1が平均視聴率19.5%を叩き出し、圧勝した。世間一般に格闘技を浸透させたという意味で、曙は格闘技ブーム最大の功労者のひとりだった。

【次ページ】 サップの告白「『曙を倒す』なんて言っていないよ」

BACK 1 2 3 NEXT
曙太郎
ボブ・サップ
谷川貞治
ホイス・グレイシー
レミー・ボンヤスキー

格闘技の前後の記事

ページトップ