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“飛びすぎる金属バット問題”は中村奨成「清原和博超え6HR」の10年以上前から深刻だった…“日米の開発対立”舞台ウラを高野連が明かす

posted2024/04/06 17:01

 
“飛びすぎる金属バット問題”は中村奨成「清原和博超え6HR」の10年以上前から深刻だった…“日米の開発対立”舞台ウラを高野連が明かす<Number Web> photograph by Hideki Sugiyama

2017年夏の甲子園で清原和博の持つ1大会本塁打数を更新した広陵・中村奨成

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広尾晃

広尾晃Kou Hiroo

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Hideki Sugiyama

 “飛ばないバット”とも表現される高校野球の新基準バット。今回の決断に至るまでの経緯と歴史的背景について、日本高野連の担当者に直撃取材した。(全3回の第2回/第1回第3回も公開中)

 1999年に規格変更が決まった「バットの最大径67ミリ未満、重量900グラム以上」の重いバットは2001年秋に導入された。この前後の甲子園の本塁打数を見ていこう(日本高野連提供のデータによる)。

00年 春31試14本(0.45)/夏48試38本(0.79)
01年 春33試21本(0.64)/夏48試29本(0.60)
02年 春31試14本(0.45)/夏48試43本(0.90)
※新基準金属バット採用
03年 春34試9本(0.26)/夏48試13本(0.27)
04年 春31試23本(0.74)/夏48試33本(0.69)
05年 春31試10本(0.32)/夏48試32本(0.67)
06年 春32試14本(0.44)/夏49試60本(1.22)
07年 春31試10本(0.32)/夏49試24本(0.49)
08年 春36試14本(0.39)/夏54試49本(0.91)
09年 春31試13本(0.42)/夏48試35本(0.73)

 新基準金属バットを導入後の03年は春夏ともに本塁打が減ったが、その後は上昇傾向に転じた。06年夏は49試合で60本塁打と1試合当たりの本塁打数が1を超えた。

 1試合当たりの本塁打数は、導入前の00年、01年は春が0.55本(64試合35本)、夏が0.70本(96試合67本)だったが、規格変更後の02年から09年までは春が0.42本(257試合107本)、夏が0.74本(392試合289本)、特に夏の甲子園では導入の効果はほぼ見られなかった。

アメリカでも「飛びすぎる金属バット」問題が

 この時期から甲子園に出場するような有力校では、寮にトレーニングルームを設置し、打撃練習だけではなく筋トレなど体を大きくするトレーニングをするようになった。またプロテインなどの栄養食を摂取するのも普通のことになっていく。

 そうした有力校の「パワーアップ」への取り組みが、新基準金属バットの規格を易々と乗り越えていったということではないか。

 この時期、アメリカでも問題が起こっていた。

 打球速度が速くなりすぎて選手が怪我をするなど「飛びすぎる金属バット」の弊害が深刻化していたのだ。このためアメリカ国内では、金属バットの使用を禁止する州も出始めていた。

 IBAF(国際野球連盟)国際大会でも金属バットの使用が禁じられた。日米の野球選手は国際大会では木製バットに持ち替えざるを得なくなり、不利益が生じていた。

日米バットメーカーが行なっていた合同会議

 こうした事態を解決するため、2002年、日本高野連は自らが定めた金属バットの規格を世界基準にするようにIBAFに提案をしたが受け入れられなかった。

 世界の趨勢は、アマ野球でも金属バット禁止の方向に傾いていたが、競技人口が多いアメリカと日本では、コスト面でも金属バットの使用を標準化したいと考えていた。

 そこで共同で木製バットにさらに近いものを開発することとなった。

【次ページ】 日米の主張が対立し、平行線となったワケ

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