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「なに、このパンチ…ヤバいな」それでも井上尚弥17歳は“無敵”ではなかった…“怪物に勝った男”林田太郎の証言「あれはスターの特性なのかな」 

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森合正範

森合正範Masanori Moriai

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posted2024/03/07 11:03

「なに、このパンチ…ヤバいな」それでも井上尚弥17歳は“無敵”ではなかった…“怪物に勝った男”林田太郎の証言「あれはスターの特性なのかな」<Number Web> photograph by AFLO SPORT

2010年7月、すでに“怪物級”と評価されていた高校2年時の井上尚弥。同年11月、全日本選手権の決勝で林田太郎との初対戦を迎えた

 林田はブロックをして必死に打ち返す。1回は完全にポイントを奪われた。2回は林田が前に出て盛り返したものの、主導権を握るまでには至らない。互角の展開が続いた。3回、徐々に林田のペースになっていった。接近戦で手数を出す。フットワークを駆使して、林田をかわそうとする井上に対し、さらに近づきボディを目がけてパンチを放った。井上が疲れ切った表情を見せたところで終了のゴングが鳴った。林田の頭の中では、最後はポイントで逆転したように感じていた。

 判定は接戦の末13.7-11で井上が序盤のリードを守り、逃げ切った。

 試合後、控え室で、林田は井上の顔を見ると、声をかけた。

「尚弥、ありがとうね。でも、俺、負けたとは思ってねえからな」

 この時点で1勝1敗。「またやろうな」という思いを込めて言った。そして、林田はエールを送った。

「頑張ってこいよ、世界選手権」

「はい。ありがとうございました。本当ですよね、頑張ってきます!」

 井上のハキハキとした口調に、「礼儀正しい子だな」と感心した。井上からは家族から愛されて育った温かみのようなものが伝わってくる。思い出すのは、ある選手がSNSで誹謗中傷を受けたときのことだ。井上の父・真吾が「そんなこと誰が言ったんだ、恥ずかしいと思わないのか!」とまるで自分のことのように怒っていた。ただボクシングが強ければいいのではない。礼儀や振る舞いを重んじ、教育熱心な親子の姿勢に惹かれていった。

 井上がいない大会となれば、林田の力は群を抜いていた。3カ月後となる2011年10月の山口国体。決勝に進んできた相手は奈良の寺地拳四朗だった。

「指導者がいなかったのか、決勝の前に学生と2人で笑いながらマスをしているのを見た覚えがあります。当時からすごくセンスはありましたけどね」

 アウトボクシングの寺地に圧力をかけ、右ボディ、右ストレートと手数を出した。前に出る林田の馬力が勝る。16-3の圧勝。相手になるのは井上しかいなかった。

<続く>

#3に続く
井上尚弥との最終決戦「勝っても引退していいですか?」 “消えた天才ボクサー”林田太郎はなぜ燃え尽きてしまったのか「体はいいけど、心が…」

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