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《消えた天才》ネイマール、パトを操る「ブラジルのジダン」だったはずが…MFガンソの輝きを奪った残酷なケガ「でも、それが人生なんだろうね」 

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沢田啓明

沢田啓明Hiroaki Sawada

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photograph byBuda Mendes/Getty Images

posted2024/03/01 11:01

《消えた天才》ネイマール、パトを操る「ブラジルのジダン」だったはずが…MFガンソの輝きを奪った残酷なケガ「でも、それが人生なんだろうね」<Number Web> photograph by Buda Mendes/Getty Images

2012年、ブラジル代表のユニフォームを着用したネイマールとガンソ

「彼は、いつも陽気で社交的。(控えめで口数が少ない)僕とは性格が全く違っていたけれど、なぜかウマが合った。お互いに『兄弟』と呼び合っていた。僕は彼がいつどこへどんなパスを欲しいかを熟知しており、そこへ出すと彼は必ずゴールを決めた」

 サントスの背番号10は、至宝ペレに由来する特別な番号だ。ガンソはこの栄光の背番号を託され、背番号11のネイマールにパスを出し続けた。

ドゥンガがW杯に呼ばないと国民が激怒

 10年前半、2人とも絶好調。5月にワールドカップ(W杯)の出場登録メンバーが発表されることになり、国内メディアと国民はガンソとネイマールの招集を熱望した。

 当時のセレソンの監督はドゥンガ。ブラジル代表の主将として94年W杯で優勝トロフィーを掲げた闘将だ(1995年から98年までジュビロ磐田でも活躍)。ところが、彼は2人を「まだ若くて経験不足」という理由で招集しなかった。国内メディアと国民の多くは、「ネイマールはまだ無理でも、せめてガンソは招集するべきだった」と激怒した。

「もちろん、ネイマールと一緒にW杯に出場して優勝することを夢見ていた。メディアと国民が僕たちの招集を願ってくれたのも嬉しかった。残念ながら招集されなかったけれど、当時、僕はまだ20歳。その後、W杯出場のチャンスは何度もあると思っていた」

 W杯でセレソンは準々決勝でオランダに敗れて優勝を逃し、ドゥンガは解任された。マノ・メネゼスが新監督に招聘されると、彼はこの年8月、W杯後最初の強化試合(対アメリカ)にネイマールとガンソ、アレシャンドレ・パト(当時ACミラン)を招集する。

 3人は揃って先発し、ネイマールが先制点を奪えば、ガンソが起点となってアレシャンドレ・パトの追加点につなげた。セレソンが2-0で快勝したこの一戦、若手トリオのプレーは鮮烈で、多くの国民は彼らが自国開催の4年後のW杯でセレソンを通算6度目の優勝に導いてくれることを夢見た。

ガンソのキャリアが暗転した大ケガ

 ところが、この年8月末、ガンソのキャリアに大きな影を落とす出来事があった。

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