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ドジャース・野茂英雄「野球を楽しみたい」発言に「日本メディアの8割が怒った」…初代通訳・奥村政之が振り返る「1995年のトルネード旋風」 

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佐藤春佳

佐藤春佳Haruka Sato

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posted2024/02/24 11:06

ドジャース・野茂英雄「野球を楽しみたい」発言に「日本メディアの8割が怒った」…初代通訳・奥村政之が振り返る「1995年のトルネード旋風」<Number Web> photograph by Koji Asakura

記者会見で隣に座る初代通訳の奥村政之。間近で見守ってきた奥村は当時のトルネード旋風をどう見ていたのか

「スカウトとして雇ってくれないか、とドジャースに直談判しに行ったんです。日本人投手を連れてきてこっちでやれるかどうかという試みをしたい。名前は出せませんが、実はある左ピッチャーをメジャーに売り込もうと個人的に動いていました。でもスカウト部長は『日本人選手は日本の野球の発展のために貢献すべきだ』と取り合ってくれなかった。当時の日米球界には紳士協定があったので気を使ったということもあるでしょう。僕はそれでも、『絶対に成功する! この球場は日本人ファンでいっぱいになりますよ』と食い下がりましたがダメだった。日本人選手を獲得する考えはその時点でフロントには全くなかったように思いました」

NYに行く寸前で「その飛行機には乗らないでください」

 年明けに渡米した野茂が代理人の団野村氏と共に最初に交渉したのは、シアトル・マリナーズ。サンフランシスコ・ジャイアンツとも面談し、足を延ばしてドジャースと交渉した翌日には東海岸へ飛びニューヨーク・ヤンキース、という日程だった。

「ピーター・オマリー会長が、ニューヨークに行く寸前で『もう一回話をしよう。その飛行機には乗らないでください』と止めたんです。ドジャースに日本人選手を獲得するというプランがあったわけではなかったけれど、オマリー会長は野茂に会って何か閃くものがあったんでしょうね。両者が条件面を詰めて、野茂はヤンキースとは交渉することなくドジャース入団が決まったと聞いています」

半信半疑だった野茂への視線

 3月。前年からのストライキの影響を受けて開幕が1カ月遅れとなったキャンプインのベロビーチには、報道陣やファンが大挙して押し寄せた。しかし当初、実力未知な右腕に向けられる眼差しには懐疑的なものもあったのだという。

「特に現地メディアは半信半疑だったと思います。ファンも『NOMO!』と叫んではいましたが、最初はその声援の多くが“サイン小僧”。物珍しいし活躍するかもしれないからサインを貰っておこう、という感じです。当時はインターネットで世界中の選手の映像を見られるような時代じゃないですから正直、物差しがなかった。野茂が実際どこまでやるのか、期待しつつも冷静な目でその結果を注視している、という空気が漂っていました」

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