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「ロレックスもらいたかったな(笑)」ブラジル人名将が驚いたJリーグバブル期「監督はマツキ(松木安太郎)だ、と」ヴェルディ裏話も 

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沢田啓明

沢田啓明Hiroaki Sawada

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photograph byKazuaki Nishiyama

posted2024/02/24 11:01

「ロレックスもらいたかったな(笑)」ブラジル人名将が驚いたJリーグバブル期「監督はマツキ(松木安太郎)だ、と」ヴェルディ裏話も<Number Web> photograph by Kazuaki Nishiyama

94年、ヴェルディ川崎でコーチを務めた頃のネルシーニョと松木安太郎監督

「練習施設が十分ではなく、選手個々の能力も決して高くないクラブがビッグクラブを倒すには、自分が目指す戦術を選手に叩き込み、なおかつ選手のモチベーションを最大限に高めるしかない。いつも頭をフルに回転させて準備を重ね、試合に臨み、また反省をして次の試合に臨んでいた」

ヴェルディ監督就任のつもりで来たら「マツキです」

――そして、今からちょうど30年前の94年、Jリーグ創設の翌年にコーチとしてヴェルディ川崎へやってきました。当時43歳で、指導者となってからちょうど10年目でした。ヴェルディ入りしたいきさつは?

「日本人の代理人を通して、オファーをもらった。プロリーグが創られた直後で、ジーコらが活躍していて、とても活気があるイメージを抱いた。迷わずオファーを受諾した」

――あなたは、すでにブラジルで確固たる実績を残していました。ヴェルディで監督ではなくコーチになった理由は?

「いや、自分ではコーチになったつもりは全くなかった」

――どういうことでしょうか?

「代理人からは『チームの責任者に』という説明を受けていた。コリンチャンスの監督としてブラジル王者となり、その後も強豪クラブの監督を歴任していたから、世界中のどこのクラブであれ、監督以外の職務を引き受けるつもりはなかった」

――それはそうでしょうね。

「94年7月、日本へ着いた。後期の開幕に備えて、チームを鍛え上げた。選手たちに戦術を叩き込み、先発メンバーを決め、試合前に選手に話をし、選手交代も私がやった。試合後も、私が選手たちに良かった点、改善すべき点を伝えた」

――つまり、監督としてやるべきことをすべて実行したのでしょうか?

「その通り。ところが、ある試合でテクニカルエリアへ出て選手に指示を送っていたら、第4審判が近づいて来た。『あなたは監督ではないからベンチへ座っていてください』と言うんだ。『いや、私は監督だ』と言い返し、押し問答になった。

 不思議に思って試合後、クラブのフロントに問いただしたところ、『あなたの公の役職は、ヘッドコーチ。監督は松木(安太郎)です』と言うんだ。本当に驚いた」

マツキは私のことをリスペクトしてくれた

――あなたの代理人は、ヘッドコーチの役職ではあなたが承諾しないと思ったので、そのような言い方をしたのでしょうか?

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