「バッターが打席に入ると、『お前、こないだ風呂屋（現在のソープランド）行ってきたらしいな』とか、そんな具合でしゃべるので、バッターも笑っちゃって打席を外すんですよ。それが嫌で、思い切って、『テンポが悪くなるんで、試しにぼやきなしで、ノーサインで投げさせてください。俺は球種が少ないし、大丈夫でしょう』と言ってみました。野村さんの返事は、『お前なぁ、俺の楽しみを取るなよ』と。それくらい、リードや駆け引きが自分の強みだと認識していたということですね」

　ささやくだけでなく、ときにはベンチからの大声で敵チームを揺さぶる場合もある。佐藤が評するところの「嫌がらせの野球」を野村は徹底していた。

「大量失点で負けているシチュエーションで、相手バッターがヒットを打ったとします。そのときは大げさに『ナイスバッティング！』とベンチから言ってやる。すると打ったバッターは一塁上で恥ずかしくなって萎縮し、南海ベンチが不気味に思えて嫌になるのだと野村さんは言っていました。ところが、私がトレードで移籍した横浜大洋ホエールズで同じように『ナイスバッティング！』と言ったら、別当薫監督に怒られましたよ。『なに言ってんだ！』って。他球団は野村野球とは全然違っていたのでしょうね」

野村克也の「ささやき戦術」。相手バッターによく話しかけていた　©AFLO

“故意のデッドボール”をやらなかった理由

　心理面の嫌がらせにこだわる野村野球は、ある意味、先進的だったのかもしれない。なにしろ当時の野球界では、故意のデッドボールは日常茶飯事。だが、選手生命に直接かかわるフィジカルの嫌がらせを、野村は排除していたという。

「私が現役の頃は、ピッチャーがバッターに腹を立てて自分の判断で当てに行くこともあれば、監督からピッチャーに『つぎのバッター、当てろ』と指示が出たりもする。引退してあるチームでコーチをしているときには、『あのピッチャーから罰金30万円とっとけ。俺の指示で当てられないなら、アイツはダメだ』と監督から言われたことがありましたよ」

　野村は、自軍投手にそのような指示を決して出さなかったという。強打者の宿命ゆえ、自身も多数のデッドボールにさらされて（通算122死球／歴代12位タイ）痛みを知るからこその平和主義なのだろうか。

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