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「ああ、身ぐるみ剥がされる」マルセイユ超危険地帯で“九死に一生”「危険を冒すべきではなかった」天才MFジダンの故郷で見た貧困の闇 

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沢田啓明

沢田啓明Hiroaki Sawada

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photograph byXavier DESMIER/Getty Images

posted2023/10/28 11:02

「ああ、身ぐるみ剥がされる」マルセイユ超危険地帯で“九死に一生”「危険を冒すべきではなかった」天才MFジダンの故郷で見た貧困の闇<Number Web> photograph by Xavier DESMIER/Getty Images

ジダンが生まれ育ったマルセイユの地には“影の部分”があった

 そういうわけで、その気は全くなかったのだが、ソッソに「ラ・カステランに行ったことはあるか」と聞いてみた。

「スクーターで、界隈を一周したことがある。マルセイユで最も危険な地区の一つだ。夜行くのは、絶対によしたほうがいい」

 ところが、「昼間ならそれほど危なくはないかもしれない」とも言う。こう言われても、「行ってみようか」という気には全くならなかった。

 ブラジルでもそうだが、こういう危険な場所は、信頼できる案内人がいない限り、絶対に立ち入ってはいけない。以前、日本のフットボール専門誌から「元ブラジル代表FWアドリアーノ(2000年から2016年までインテル、ブラジル代表などで活躍したストライカー)が生まれ育ったリオの貧民街を取材してくれないか」という依頼を受けたが、「信頼できる案内人がいないのであれば、行きません」と断ったことがある。

危険察知能力はかなり発達しているはず…

 ジダンの父親はカビール系アルジェリア人だ。1953年、アルジェリア独立戦争が始まる前年にフランスへ移住し、当初はパリ郊外の工事現場などで働いていた。アルジェリア人女性と結婚し、1968年にマルセイユのラ・カステラン地区へ移り住んで倉庫の番人やデパートの夜間警備員などの仕事をした。5人の子供(4男1女)がおり、ジダンは末っ子だ。彼の伝記を読むと、「幼い頃から、日がなラ・カステランのタルタンヌ広場でボールを蹴ってテクニックを磨いた」とある。

 9月18日の午後と19日、旧港、教会、美術館、要塞などを回った。美術館や歴史的な建造物の宝庫であるパリと比べると、それほど見所は多くない。

 アレクサンドル・デュマの小説「モンテ・クリスト伯」(巌窟王)で主人公が閉じ込められた牢獄がある(という想定の)イフ島を巡る遊覧船があるが、ここは数年前に行った。つまり、マルセイユ観光は1日半で終わってしまった。21日は試合があるが、「20日は何をしようか」と考えた。

 ここで、自分の中の悪魔の囁きが始まった。

「少しだけラ・カステランへ行く、というのはどうだ」

「お前は長年ブラジルに住んでいるから、危険察知能力はかなり発達しているはずだろ? 少しでも危ないと思ったら、すぐに引き返せばいい――」

駅までは簡単に行けたのだが

 元々、好奇心が人一倍強いことに加えて、ジャーナリストという仕事柄、ますます好奇心が強くなっている。行き方を調べると、地下鉄2号線のジェーゼという終点駅まで行き、そこで98番のバスに乗ってわずか5駅。小一時間の距離とわかった。

 こうなると、もう気持ちを抑えられなくなっていた。持っていくのは、パスポート、携帯電話、最少限の金、ソッソのアパートの鍵、水、軽食。クレジットカードはアパートへ置いていく。

【次ページ】 携帯電話を持っていることとヨソ者の両方が一度にバレた

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ジネディーヌ・ジダン
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