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作新学院にとって江川卓の存在は大きすぎた…「とにかく異常。チームが壊されちゃう」50年前、“フィーバー”の渦中で苦悩した関係者たちの証言 

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安藤嘉浩

安藤嘉浩Yoshihiro Ando

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photograph byJIJI PRESS

posted2023/08/22 17:01

作新学院にとって江川卓の存在は大きすぎた…「とにかく異常。チームが壊されちゃう」50年前、“フィーバー”の渦中で苦悩した関係者たちの証言<Number Web> photograph by JIJI PRESS

1973年、春の選抜で1大会60奪三振の記録を打ち立てた作新学院の江川卓。その後の“江川フィーバー”は本人やチームメートに苦悩をもたらした

「江川と仲が悪かったと言われるけど…」

 当時取材したスポーツ紙記者からは、怪物とチームメートの関係がだんだん微妙になっていったと教わった。

「俺が江川と仲が一番悪かったと言われるけど、言われるほど悪くなかったと思うけどな」

 当時、一塁手だった鈴木秀男さんは「あいつの家によく遊びに行ったしね」と笑う。

「ただね」と鈴木さんは打ち明ける。

「江川が敵だと大変だろうが、江川の後ろで守るのも大変なんだ」

 いつもパーフェクトがかかる試合展開になるため「内野はもうガチガチだよ」。それでいて、ほとんど三振だから、めったに打球は飛んでこない。誰かが先にエラーすると、「正直ホッとしたもんだよ」と苦笑する。

 バッテリーを組んだ小倉偉民(現姓・亀岡)さんは「みんなが苦しかった。江川も苦しかったんだ」と吐露した。

「本人は何も変わらない。だけど、周囲が変わってしまった」

 江川が動けば、報道陣やファンも動く。例えば打撃練習を終え、投球練習場に移動すると、水が引いたようにグラウンドから人がいなくなった。

「そんな状態だからね、我々と一緒にいたくても、あいつはいられなくなっていった。気を使う男だから、みんなに迷惑がかかると思ったんだろうね」

「怪物」ゆえの苦悩を抱えた江川は、一人でいることが多くなった。

<後編へ続く>

#2に続く
連投の疲労、仲間との不協和音…江川卓“最後の甲子園”で何が起きていたのか? 呪縛から解放されたラストボールが「高校野球で最高の1球だった」

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