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「野球なら内野を2人で守るようなもの」…王者・法政大を倒すため“偏差値70超え”国立大弱小アメフト部が仕掛けた「1年越しの奇策」とは? 

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山崎ダイ

山崎ダイDai Yamazaki

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photograph by取材対象者提供

posted2023/08/26 11:02

「野球なら内野を2人で守るようなもの」…王者・法政大を倒すため“偏差値70超え”国立大弱小アメフト部が仕掛けた「1年越しの奇策」とは?<Number Web> photograph by 取材対象者提供

2年連続で日本一に輝いていた法政大を倒すため、“偏差値70超”難関国立・一橋大が仕掛けた奇策「カミカゼ」の内容とは…?

 年が明けると早々に、彼らは法政大の弱点探しを始めた。

 最強チームと戦う上で、最大の課題はディフェンスだった。当時の法政大の一番の武器はクオーターバック(QB)の菅原俊(現オービックシーガルズコーチ)を軸にしたショットガン隊形からのパスアタック。強肩で自分自身も走ることのできる菅原と、その後の日本代表に名を連ねるような運動能力の高いレシーバーたちを備えたオフェンスの破壊力は凄まじく、同じ1部校同士にもかかわらず、100点ゲームになることすらあった。

 その菅原は今年、最終学年を迎える。これまで以上にレベルを上げてくることは想像に難くなかった。

最大の課題となった「菅原のロングパス」

 ディフェンスリーダーを務めたラインバッカーの常木翔は、当時の暗中模索をこう振り返る。

「渡辺という学生トップクラスの選手に見慣れていたこともあって、ランプレーはなんとか止められるイメージが持てました。でも、パスプレーは全く止められる気がしませんでした。当時の法政大はロングパスの精度が異常に高く、延々と通されてしまう。とにかく長いパスを止めないとダメだと」

 常木は進学校として名高い筑波大附属高の出身だ。高校時代はサッカー部の活動に打ち込んだが、最後の大会では自分で納得する結果を残すことができなかった。そんな悔恨があったからだろうか。大学でアメフト部に入ると1年目から「日本一を目指したいです」と、チームメイトや監督に当時は無謀とも言える夢をぶち上げていた。

 幸か不幸か、入学後の3年間を経てその夢は無謀なものから実際に手がかかるものに変わっていた。だが、そこへの最大の「壁」である法政大のアタックは、普通に考えたのではどうしても止まらなかった。そもそも国立大学で、スポーツ推薦の選手などいない一橋が総合的な運動能力で勝てる道理はないのである。

 ただ、それでも常木にはある信条があった。

「結局アメフトってじゃんけんなんですよ。相手に対してどうやって分のいい手を出すのか、みたいな話なので。それがうまくいけば運動能力で劣っていても絶対になんとかなる。だからパスが得意な法政に対して、なんとか“いい手”を考えていったんです」

【次ページ】 「野球で言えば内野を2人で守るような隊形」

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