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“天才・宇佐美貴史”に小、中学校で気遅れした男が“スペイン語のプロ”として同僚に…「選ばれた者しか入れない」Jリーグで通訳になるまで 

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下薗昌記

下薗昌記Masaki Shimozono

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posted2023/08/11 11:00

“天才・宇佐美貴史”に小、中学校で気遅れした男が“スペイン語のプロ”として同僚に…「選ばれた者しか入れない」Jリーグで通訳になるまで<Number Web> photograph by Masaki Shimozono

かつてJリーガーを目指し、現在ではガンバ大阪のスペイン語通訳として奮闘する岡井孝憲さん

 近年では日本からスペインへサッカー留学する選手や指導者は珍しくないが、何故、「情熱の国」を目指したのか。それは、京都サンガのアカデミー時代に得た貴重な経験ゆえだった。

「ヨーロッパに行くなら絶対スペインだなと思っていました。サンガのプロジェクトで中学2年の時にバルセロナ、高校2年でもバルセロナ、高校3年でマドリーに遠征したんですけど、スペインの文化とか、気質が自分のフィーリングと相性が良かった。当時、バルサも好きであのサッカーにすごく魅力を感じていましたし、僕の希望をつなげてくれる方もいたのでもう『スペインに行きます』という感じでした」

言語はまだまだなのに「指導に興味はないか」

 幼い頃から憧れた、Jリーガーへの夢は断ち切らざるを得なかった岡井さんだが大学卒業後、スペインに渡った当初は、現地の地域リーグでプレーしながら、少しでも上のカテゴリーにステップアップする青写真を描いていたという。もちろん、プロ契約ではないため、無給でプレーする日々だったが、スペインに渡って2年目に所属していたカニェージェスというクラブで、岡井さんの人生が大きく動き始める。

「元々、僕は指導者に興味があって、スペインに行くと決めた時は、サッカーの経験値を選手として高めること、語学の習得、そして指導者としての勉強の3つが目標としてありました。いずれ道が開けた時に指導者をやりたいなと思ったら、まだ2年目の僕にチャンスを与えてくれたんです。カニェージェスの育成ダイレクターが『お前は指導に興味はないのか』って。言葉もそんなに喋れない上に、6歳か7歳の小学生を教えないといけませんでした。僕はバルセロナでの生活はそれほど長くないと決めていたので、ライセンスを持ってなかったんですが、すごく面白いなと思った。『全然問題ないよ』と言ってもらい1番下のカテゴリーの指導をすることになりました」

試合中に喧嘩も起きるし、殺気も…

 スペインで指導者のスクールに通い、約1年をかけて日本ではA級ライセンスに相当する資格を取得。U-8とU-9では監督を務め、U-15のコーチも担当。そして選手としても夜9時から活動する「三足の草鞋」を履く生活でハードな日々を過ごしていた。選手、そして指導者として充実した日々だった。

【次ページ】 通訳として「選ばれたものしか入れない世界」へ

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